「とてもそんなことするような人には見えませんでした」

 事件容疑者の隣人は、マイクを向けられるとたいていそう言う。この常套句を、つい浴びせたくなる歴史上の人物がひとり。印象派の巨匠、クロード・モネだ。

 きれいで華やかな、誰にも好かれる作風がモネの持ち味。人物像も善良だったと伝えられる。しかし、である。彼が美術史上で為したことを虚心に見ると、「破壊者」にして「革命家」という激しい側面が浮かび上がる。あんなに好さそうな人なのに……。

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鈴木理策《水鏡 14,WM-77》(左) 《水鏡 14,WM-79》(右) 2014年 作家蔵 ©Risaku Suzuki, Courtesy of Taka Ishii Gallery

 オモテの顔もウラの顔もある、モネの多面性と凄みを感得できる展示が横浜美術館で開催中だ。「モネ それからの100年」展。

絵画の伝統と常識をひっくり返した

 印象派の面々と同時代に生きた画家ポール・セザンヌは、モネのことをこう称したことがある。

 彼はただの眼だ。だが、それはなんと驚くべき眼であることか――。

 セザンヌの言葉が何を指しているのかといえば、モネは見ることだけに特化し、見たままを画面に表した稀有な画家だったということ。

 画家なのだから、見ることが仕事なのは当たり前だろう。そう思うのは早計である。少なくともモネら印象派が登場する以前、西洋絵画の世界では、「見る」ことがさほど重視されていなかった。

 絵にははっきりと主題があり、描かれた事物は確固たる意味を持ち、一枚の絵の中にきちんとストーリーが織り込まれているのがふつうだった。それゆえ、わかりやすい意味とストーリーを有する宗教画や歴史画が、絵画の本流だった。

クロード・モネ《睡蓮、水草の反映》1914—17年 ナーマッド・コレクション(モナコ)

 ところがモネは、まったく違うことに取り組んだ。絵画で意味やストーリーを表そうという気はさらさらなく、自分自身の視覚から得られる驚きや発見をそのまま画面上に示そうとしたのだ。

 モネはどこにでもありそうな何気ない風景を題材にして、その場・その瞬間にしか現れない色をキャンバスに置いて画面を構成した。影は黒、地面は茶色、草木は緑といったお約束の色合いは完全無視。描くものなど何でもいいし、そこに差す光によってものの色やかたちは変わるのだから、自分が感じたままの「印象」を画面に留めればいいと考えた。

 そうして、あらかじめ定められた意味や形態を客観的になぞるものから、瞬間ごとに移ろう世界をただ主観で捉えるものへ。絵とは何かという概念自体を、モネは転換させてしまった。既存のものを根底からひっくり返してしまうのが革命ならば、モネは真の伝統破壊者にして革命家と呼ぶべき存在だった。