絵本作家で、紙芝居作家のやべみつのりさん。息子は『大家さんと僕』の作者でもあるお笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さんです。東村山市のアトリエへ伺うと、やべさんの作品と共に、所狭しと太郎さんが子どもの頃に描いた絵や「たろうしんぶん」が飾られていました。自由で、ちょっと不思議な距離感の親子関係について伺いました。
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太郎が子どもだった頃は、庭に建てたプレハブで仕事をしていた
――お邪魔します。ここは、普段仕事部屋にされているところですか?
やべ こんにちは、そうですよ。
――矢部太郎さんが「手塚治虫文化賞 短編賞」を受賞されて、手塚るみ子さんとの受賞記念対談を収録した記事を新潮社のPR誌「波」で拝読して。
やべ ああ、それね。この前太郎にもらいました。この日は招待されて行ったんですよ。太郎が1列目に座って、僕と家内が2列目で聞きましたよ。
――やべさんのアトリエがとても身近だったことを、太郎さんが話していましたね。
やべ そうそう。太郎が子どもだった頃はね、 場所は同じ東村山市なんですけど、平屋が4軒か5軒連なった木造長屋に家族4人で暮らしていました。庭に、プレハブ小屋を作りましてね(笑)。 イチジクの木なんかも植えていたんです。
――庭に、プレハブですか?
やべ その中で、仕事をしていたんです。太郎がアトリエと言っているのはその仕事部屋のことですね。絵本を描いたり、紙芝居を作ったり。僕は保育所で絵を教えたり、造形教室の先生をやったりもしていたんだけど、家にいる時間は長かったと思います。太郎が生まれたのが1977年でしょう。高度成長期まっただ中でしたから、男は外で働いて、子育ては女性の仕事という風に、くっきり分けられていた時代だった。だけど僕は家にいたし、家内が外で仕事をして働いていました。僕の性格が出ているのかもしれないですけど、常に時代とずれてるんですよね(笑)。
――お父さんはすごく身近な存在だったんですね。よく一緒に遊んでいたんですか?
やべ 遊ぶというかね、僕は廃品で工作するのが好きなんですよ。保育者が読む「幼児と保育」(小学館)という雑誌に頼まれて、空き缶やペットボトル、牛乳パック、ダンボールなど使用済みになって捨てられるモノたちを使った子どもと遊べるものを考えたりしていたから、太郎とも作っていましたね。
――太郎さんがこぐま社の会報誌「こぐまのともだち」で連載している「ぼくのお父さん」のエピソードで、家でごはんを食べる時に、やべさんがスケッチをし終えないとみんなが食べられなかったというのは本当ですか?
やべ そうですね(笑)。だけど、たけのこみたいな旬のものとかさ、美味しいものって食べたら消えるじゃない。今だったら、スマホで撮って気がすむのかもしれないけど……。
――「おかずは だんだん さめていきます」という文章につい笑ってしまいました。
やべ あれ、『大家さんと僕』(新潮社)より面白いんじゃないかと思うんだけどね(笑)。太郎から「テレビゲームがほしい」と言われた時も、紙芝居ふうにダンボールなんかで手作りしてるんだから、僕は本当に時代からずれてる。「オフ」ですよね。お金がなかったっていうのもあるけど、なんかああいうものは、あそぶと言うより、あそばされてるようで嫌いなんですよね。