絶対に代えの利かない選手というのはいるものだ。左わき腹の故障で戦列を離れていた坂本勇人が帰ってきた。復帰後は全試合に遊撃手で先発し、46打数20安打の打率4割3分5厘(9日現在)。わかっていたことではあるが、攻守ともに坂本の代わりは誰もいない。Aクラス死守に向けて、やはり頼れるのは坂本だ。

 坂本を初めて見たのは11年前だった。2007年9月6日、ナゴヤドームでの中日戦。シーズン終盤の大事な首位攻防戦は1ー1のまま延長12回までもつれ、上原の代打で登場した坂本が、高橋聡文からプロ初安打初打点となる決勝の2点タイムリー。この年は最終的に巨人が1.5ゲーム差で5年ぶりのリーグ優勝を飾った。当時中日が無類の強さを誇っていたナゴヤドームでもぎ取った1勝が、ペナントの行方を決めたと言ってもいい。

 ただ、当時はすごい選手がでてきたな! という雰囲気はそれほどなかったように思う。殊勲の初安打もポテンヒットで、線が細く、非力な打者だな、というのが第一印象だった。ところが、坂本はその後、とてつもない成長曲線を描く。10年には巨人の遊撃手として初めて30本塁打を超える31本塁打を放ち、12年に最多安打、16年に首位打者。一時は3年連続で打率3割を割るなど停滞期もあったが、今季も首位打者争いを繰り広げるなどリーグを代表する打者に成長した。

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 そして、坂本の価値を大きく上げている要素が、攻守両面で圧倒的な貢献ができることだ。

故障から復帰後、好調をキープしている坂本勇人 ©文藝春秋

守備面での高い貢献度

 若手の頃の坂本は守備が苦手というイメージがあった。確かに、昔の坂本はスローイングにやや難があり、08年~11年と4年連続でリーグ最多失策(遊撃手)を記録している。だが、選手のプレーを徹底的に数値化して評価するセイバーメトリクスの守備指標の概念がアメリカから持ち込まれると、風向きが変わる。

 当時の坂本の守備は中日の井端やヤクルトの宮本と比べると一段階下の評価だった。だが、簡易版ではあるものの、1人の選手が9イニングで取ったアウトの数を数値化した「レンジファクター(RF)」では、坂本は09年にすでにリーグ1位に輝いている。伝統的な評価基準である守備率は失策数の少ない選手、言い換えれば「近くの打球は堅実に処理するが、動きが悪い」という選手に有利な指標だ。三遊間の打球に追いつかなければそれはただのヒットだが、ギリギリで追いついて無理な体勢で送球したら遊撃手の失策になる可能性がある。一見粗削りではあるものの、アグレッシブに打球にチャレンジしていく坂本の守備は実は勝利への貢献度が高い――というように、マニアックなファンの間で、少しずつ守備指標に対する理解が高まっていった時期と、坂本が守備面での評価を上げて一気にスターダムに駆け上がっていく時期は重なっていたように思う(だが、記者投票であるゴールデングラブ賞だけは評価基準のアップデートが遅れており、坂本は16年まで受賞できなかった)。

 もちろん、評価基準の変化だけが彼の評価を一変させたわけではなく、坂本が持っていた成長に対するどん欲さも見逃せない。12年には同一リーグの宮本の松山自主トレに参加して、グラブさばきや打球に対する準備の仕方を学んだ。さらに13年のWBCでは、井端に教えを請い、その後は井端モデルのグラブを使うようにすらなった。その後チームメートになったこともあり、井端との師弟関係は現在まで続いている。元々持っていた広い守備範囲に加え、井端や宮本に学んだ技術がさらに坂本の守備を洗練させた。