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2018/09/17

内野の控え要員だった中学時代

 その“諦めない”気持ちは誰よりも持っていると私は思います。プロ野球選手になれるような人は、甲子園に出場できなくても幼少期はエースであったり主軸を打ったり、野球のスタートは順調なイメージ。

 しかし、小学2年生で野球を始めた板山少年は中学のチームでもレギュラー番号をもらったことは一度もなかったそうです。最上級生になっても背番号は14。内野の控え要員でした。中学入学時は身長も150cmちょうどしかなかったといい、「ずっとチビってあだ名でした(笑)」。体も小さく、レギュラーにもなれない。本人が悔しいのはもちろんですが、それは家族も一緒でした。

「親父もすごく悔しかったんだと思います」。学校から帰ると毎日午後4時半からはお父さんと素振りの時間。小学生の頃から友人と遊ぶ時間もほとんどなく、お父さんと二人三脚でバットを振り続けました。「今となっては本当にありがたいと思いますけど、当時は怖かったです」。懐かしそうに振り返ります。当時怖かった父との練習を小学生ながら頑張れたのは「プロ野球選手になりたい」という本気の夢があったからこそ。成立学園、そして非常に厳しいと言われる亜細亜大学でも頑張り続けられたのは「絶対プロ野球選手になりたい、なる!」という確固たる信念があったからです。がむしゃらにバットを振り続け、ドロドロになって白球を追い続けていたと思います。

 憧れのプロ野球選手になって3年目。24歳の板山選手は、守備位置まで全力疾走、凡打しても1塁まで全力疾走。あの頃のようにがむしゃらに野球に向き合っています。もちろんプロの世界。結果も求められますし、これまではファンの皆さんが望むような結果を残せていないかもしれません。

「気持ちはもう折れへんよ! イタ(板山)のメンタルはかなりレベルアップしたから!」。矢野ファーム監督は2軍の試合で板山選手を4番で起用し続けました。「変える理由が見つからなかった」。春には起用する気にならないといっていた矢野ファーム監督をこう言わせるまでに板山選手には隙が無くなりました。すぐに結果は出なくても数字に表れない成長を矢野ファーム監督はしっかり感じ取っています。レギュラーになれなくてもバットを振り続けた少年がプロ野球選手になりました。まだまだ3年目、今シーズンだってタイガースはまだ試合を残しています。8月末、板山選手に一通のLINEが届きました。「ファームでやってきたことは間違いじゃない。俺はムチャクチャ期待しているから、頑張れよ!」。

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