甲子園での試合後取材は「戦場」だ。ゲームセットが告げられると、番記者はベンチ裏の通路の左右に陣取って、お目当ての選手を待つ。ロッカーから引き上げてきた選手は、階段を登って2階に上がり、クラブハウスへとつながる出入り口へと姿を消す。記者が、ぶら下がれるのは、ここまで。直線距離にして20~30メートルほどだ。
ヤンキースやレッドソックスをしのぎ“世界一多い”と評されるトラ番たちが、この一連の動きを同時多発的に行うのだから、相当な騒々しさだ。快投したランディ・メッセンジャーの話を聞き終わった時には、好リリーフした能見篤史の姿がすでに無かったり……。記者1年目には、大ベテランの下柳剛に拙い質問で「お前、野球知ってんのか?」と叱責されたのも、今では「あれは、良い経験でした」と強がれたりするのだが、この場所で冷や汗をかいた思い出は数え切れない。
報道陣の前で「悪夢」を振り返った梅野隆太郎
そんなバタバタした現場において、階段を登り切った先にある踊り場で、必ず立ち止まって質問に答えるのが、梅野隆太郎だ。勝ち試合だけでなく、敗戦を喫しても決まって、そこで歩みを止める。それは新人時代から変わらない光景。勝利に導いたヒーローのイメージよりむしろ、負けた時こそ、しっかりと話す姿が印象に残る。
直近では、8月30日のヤクルト戦。1点ビハインドの5回、1死満塁から糸原健斗は中堅左へ犠飛には十分の打球を放った。同点を阪神は確信し、ヤクルトは覚悟したシーン。だが、三塁を狙った二塁走者の梅野は、中堅・青木からの中継プレーでタッチアウト。三塁からタッチアップした鳥谷の本塁生還より早く刺されたため、変則的な併殺で無得点に終わった。
積極的な姿勢が裏目に出た痛恨の走塁死。試合も敗れて、本拠地で同一カード3連敗を喫する最悪の結末。試合後、さすがに今日は……と思っていたが、活躍した時より多いと思えるほどの報道陣を引き連れ、背番号44はいつもの場所で立ち止まると、自分の言葉で「悪夢」を振り返った。
「チームの流れを止めてしまい申し訳ない。(先発の)才木が粘っていただけに助けてあげたかった」。実は、直前の守備で先制点につながる送球ミスを犯していた。自らの失策で足を引っ張られながらも力投していた19歳・才木浩人を、何とか援護したい思いが空回りしてしまった。それでも、生の言葉からは、なぜリスキーなタッチアップを狙ったのか、女房役の強い思いがうかがえた。