太平洋戦争末期から敗戦直後の混乱期、食糧難に喘ぐ若い女性たちに「米が買える農家がある」と甘い言葉をかけ、山林に誘い込んでは強姦・殺害を繰り返した男がいる。1946年、41歳での逮捕までに少なくとも7人の命を奪った鬼畜だ。

写真はイメージ ©getty

「強盗強姦は日本軍隊につきもの」

 男の凶行の原点は、1928年(昭和3年)の済南事件にある。海軍陸戦隊員として中国に渡った男は、激しい市街戦のなかで中国兵6人を銃剣で刺殺するかたわら、同僚とともに民家に押し入り強姦を敢行。

 後に「強盗強姦は日本軍隊につきもので、時には妊娠している女の腹を引き裂き胎児を取り出したこともあった」と証言している。この中国での犯罪体験が、後の残忍な強姦殺人の土台となったことは疑いようがない。

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 帰国後も男の性欲は止まらなかった。1932年には親戚の娘2人と性的関係を持ち、それが発覚すると逆上。離婚した妻の父親をバールで撲殺し、7人に重傷を負わせた。懲役15年の判決を受けながら、恩赦により8年あまりで仮出所している。

 最初の犠牲者は1945年5月、勤務先の衣糧廠で働く宮崎光子さん(21歳)だった。ボイラー室で入浴する姿を覗き見て欲情した男は、彼女が離職の挨拶に訪れた隙を突いて強姦・殺害。遺体を防空壕に遺棄し、別の男に疑惑が向いた隙に姿をくらました。

 その後も男は「米が買える農家がある」という口実で女性を山林に誘い込み、抵抗されれば殴打・脅迫して犯行に及んだ。敗戦直後の9月28日には、松下ヨシ江さん(21歳)を殺害した後、傍らで子供の栗拾いの声が聞こえると慌てて絞殺し、さらに屍姦に及ぶという凄惨な行為に及んでいる。

逮捕されても反省なし

 逮捕のきっかけとなったのは、相撲の行司・式守伊三郎の三女・柳子さん(17歳)の遺体発見だった。男は就職を斡旋すると言葉巧みに近づき、増上寺境内の裏山で犯行に及んだ。

 取調べに対し男は「柳子さんの首が太かったので10分くらい力を抜かず、そのせいか彼女の死顔は黒ずんだ。そりゃあ酷いものだった」と、まるで他人事のように語ったという。

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