「かてぃん」の愛称で親しまれる角野隼斗氏(30)は、公演チケットの販売枚数の多さからギネスに認定されるほど世界が注目するピアニスト。昨年11月、「世界屈指の音楽の殿堂」と呼ばれるニューヨークのカーネギーホールで、初めて開いたソロリサイタルも大きな話題を呼びました。現在は拠点をニューヨークへ移し、アメリカ、日本、ヨーロッパを巡りながら活動をする角野氏の原点に迫ります。

◆◆◆

東京大学か、東京藝術大学か

 講師をしていた母の指導のもと、ピアノは3歳から始めました。「ゲーム感覚で、やる気を上手に引き出す教え方だったのよ」と、母は言っていますが(笑)、練習が嫌なことはたまにありました。

ADVERTISEMENT

 でも、辞めようと考えたことは一度もありませんでした。僕の一番古い記憶は、ピアノを始めた頃のこと。和室で数字を紙に書いていて、母が遠くから何かを話しかけている。数字そのものを書くのも楽しくて、2の累乗をずっと書いていました。2、4、8、16、32、64、128……。算数も大好きでした。

角野隼斗氏 Ⓒ文藝春秋

 小学校高学年から、ゲームセンターの「音ゲー」にはまりました。特に「太鼓の達人」は高得点になるとランキングに名前を登録できるのです。打ち込めるのがひらがな4文字までだったので、「かてぃん」という名前にしました。意味は深く考えず、語感やキャラクター名のような感じから思い浮かびました。

 開成中学校に入ってからはニコニコ動画やYouTubeに興味を持ち、演奏動画を投稿するように。その時、使い始めた名前が「Cateen」。子どもがインターネットに本名を公表するのは危険なので作ったハンドルネームです。この名前で僕のことを知ったかたもいらっしゃるかもしれません。

 その頃は、クラシック以外の音楽も聴いたり演奏したりしていました。BPM(1分間あたりの拍数)が速ければ速い曲ほど好きでした。友達とバンドをやりたいねと話して始めたのが、ギター2人、ベース、ドラム、キーボード、ボーカルの6人組で激しめのハードロック。キーボードの担当は別にいたので僕はドラムだったのですが、イントロだけピアノを弾いてドラムへ移るといったパフォーマンスもしていました。

ニューヨークのカーネギーホール Ⓒ時事通信社

 ジャズを始めたのも同じ頃です。地元の勝田台文化センター(千葉県八千代市)で「ラプソディー・イン・ブルー」のピアノソロバージョンを初めて弾きましたが、当時はクラシックの曲だと思っていました。

 大学進学は、ひとつの岐路になりました。東京大学に行くか、東京藝術大学に行くか。でも、僕はまだピアノで食べていけるとは思っていませんでした。親戚に宇宙飛行士の山崎直子さんがいて宇宙にも興味があったし、親からは「音楽と数学を迷っているなら東大にしたら?」というアドバイスもありました。藝大でなくてもピアノは練習できると考えて東大を選び、工学部の計数工学科数理情報工学コースへ進みました。