人気ブーランジェリー「メゾンカイザー」を経営する木村周一郎さんは、銀座のあんぱんの老舗「木村屋總本店」の一族。木村さんが経験した「わが人生最大の失敗」とは——。
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(新卒で入社した会社を)27歳で退職し、海外でのパン作りの修業の後、家業は継がずに起業を決めました。2001年に高輪に1号店を開き、フランス仕込みの硬いバゲットがじわじわとお客様に受け入れられていった。そこで試練となったのが、04年のコレド日本橋への出店です。
コレドは日本橋エリアの再開発の中心となる鳴り物入りの商業施設で、出店資金として1.5億円が必要でした。当時の年商はまだ3億円足らず。とんでもなく大きな投資です。生保時代のツテを頼って都銀に行くと、「身の丈にあった金融機関とお付き合いになったらいかが」とけんもほろろ。最終的に中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)から融資を受けました。
巨額債務とともに乗り出した日本橋店は当初は絶好調で、単店舗の月商が3000万円に達しました。ところが半年もすると売り上げが目に見えて減り、気づくと月商400万円ぐらいに落ち込んだ。返済計画が狂うどころか、ここまで減ればいつ資金がショートして会社が潰れてもおかしくありません。真新しいコレドの建物を見上げて「いっそ上層階から身を……」なんて思いがよぎる日もありました。
殺伐とした店舗
月商3000万円の時も、あぐらをかいていたわけではありません。むしろ、朝5時に出社して深夜零時に帰宅するような日々でした。でも、良いパンを作って売ることに没頭しすぎ、「人のマネジメント」ができていなかった。日本橋店には30人ほどスタッフがいたのですが、知らないうちに派閥が生まれ、雰囲気の悪い職場になっていました。みんなトゲトゲした気持ちで働き、取引先業者さんの電話を「うるさい」と言って切る人もいた。うちのパンは安くはありません。お客様は単にお腹を満たすためではなく、ある種の幸福感を求めて来ています。なのに殺伐としたお店では嫌がられる。これが客足急減の原因でした。
なぜスタッフも同じように全身全霊で働いてくれないのか――そんな不満を抱えた私を、旧知の力石寛夫さん(トーマス アンド チカライシ代表)が自身の勉強会に誘ってくれました。そこで話を聞いてくれたのが、スターバックスコーヒーを日本に持ち込んだ角田雄二さん、鈴木陸三さん兄弟。「お金を払って働く経営者と、お金をもらって働く従業員とでは意識が違うのは当然」と諭され、目が覚めました。「私とあなたは違う人」。その前提で、顧客と同じようにスタッフの満足度を大事にしていこうと決めました。
※その後、「メゾンカイザー」はどのように変わったのか。この続きで語られています。約1900字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年5月号に掲載されています(木村周一郎「派閥でトゲトゲしたパン屋に」)。
出典元
【文藝春秋 目次】東京極秘対談 ティール×トッド 世界は終末を迎えているのか/池上彰×佐藤優 “暴れ獅子”トランプと“女豹”高市の生きるか死ぬか/官邸官僚の第二の人生
2026年5月号
2026年4月10日 発売
1300円(税込)
