翻訳版が出ると聞いて、予想より早かったなあと少し驚いた。

 芥川賞受賞作でもあり話題になったものの、翻訳には二の足を踏む出版社が多いと聞いていていたからだ。

「芥川賞を受賞した大作だし、今の韓国社会にぴったりの内容でとても魅力的だけど、いちばんの難関は、翻訳。日本人でも難しい東北弁の語りを韓国語に翻訳するとなると相当な時間がかかるし……」

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 韓国の出版業界の知り合いもこうこぼしていた。

表紙いっぱいに舞っている蝶は、自身の力で自由を獲得する希望に満ちた雰囲気と、小説の主人公、桃子さんの中に潜む複数の桃子さんの存在を、そして小説の最後の台詞から「春」などを表現している

 そんな『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子著、第158回芥川賞受賞作品)の韓国版が8月27日に出版されて話題を呼んでいる。

東北弁の語りを翻訳することには迷いもあった

 翻訳版の出版を記念して著者の若竹千佐子さんも韓国を訪れた。

 インタビューや記者会見での様子は、「地球が老いた星だからいい……私がおばあさんでよかった」(朝鮮日報8月29日)、「若い時は写真一枚で人生の意味を経験し、老いるとアルバムのように人生全体を見渡すようになる」(文化日報8月29日)、「日本の作家若竹千佐子 おばあさんになった後に遂げた作家の夢……年をとると自分の主導権ができていい」(東亜日報8月30日)などと報じられ、関心もひときわだった。

第158回芥川賞記者会見での若竹千佐子さん ©文藝春秋

 翻訳版の版元は語学専門の出版社として広く知られているトマト出版社。6年前に設立され、文学作品を手がけるようになったのは2年前から。『おらおらでひとりいぐも』は6作目だ。ただ、翻訳に名乗りをあげるまでには、社内には迷いもあったそうだ。同社代表は言う。

「東北弁の語りの部分をどう翻訳するのか、他の出版社も同じような悩みから翻訳から手を引いたとも聞きましたし、これは深刻な悩みでした。

 これまでのような収益性が見込まれたり、親しみやすい作品だけでなく、もっと幅広い作品を伝えたいと考え、文学作品を手がけるようになったので、『おらおらでひとりいぐも』のような芥川賞を受賞した大作を手がけたいという気持ちは強かったのですが、社内でもとても悩みました。

 それでも、翻訳をしたいと思ったのは、本のレビューにあった、おばあさんの手の甲をつねるシーンの一節を読んだからです。それを読みながら、亡き母が思い浮かんで、彼女はどんな思いを抱えていたのか、ふとそう思ったときにはもうこの作品を翻訳しようと決めていました。後に担当になった編集者は、老後の孤独や寂寥感の話ではなく、それを越えた女性の自由や自立、まだ戦えるというメッセージが込められていると作品の魅力を語ってもいました」

翻訳を可能にしたのは「太宰治」で培った東北での縁

 翻訳は、太宰治や宮沢賢治の作品を手がけた翻訳家の鄭修阭さんが担当したが、ここには不思議な“縁”があった。鄭さんは太宰治の大ファンで、以前、太宰治の故郷、青森を旅し「疎開の家」を訪ねた際、家を管理している白川公視さんと知り合ったという。鄭さんの話。

太宰治 ©文藝春秋

「芥川賞をとる前に『おらおらでひとりいぐも』を拝読しまして、これは後世に残るすばらしい作品だと思いました。ただ、やはり、東北弁のところが、なんとなくはわかってもはっきりとは分からなくて、それで思い切って今年の1月頃、白川さんに連絡して教えを請うたのです。その後、何度もやりとりをしました。白川さんは、『この小説の方言は気持ちがよくて、魂がムズムズするのを感じます』と丁寧に教えてくださいました。

 いざ翻訳する段階となったとき、東北弁を標準語にするかどうするかといった話もでましたが、小説の中の東北弁は桃子さんの内なる声で、小説の“ヤマ”でもあります。韓国の方言で訳そうということになり、今度は、どの地方の方言にするか迷いました。東北弁とリズムやアクセントが似ていて、芯の強さが感じられる、そして少し距離感が感じられる方言をと思い、韓国北東部の江原道・江陵の方言を使うことにしました。

 そして、もうひとつ大事なことは、小説にある音楽性、リズムを生かすことでした。読んでいると音を聞いているような感じで、文字で読んでいるのにまるで話しているのを聞いているような、そう読めるように努めました」

  江陵は、ちょうど今年、平昌冬季オリンピックが開かれた雪深い地方だ。鄭さんは、実際に江陵を訪ねて、地元の人が集る市場に足を運び、そのリズムやアクセントを確かめたという。それでも、まだ十分ではないと感じていたところへ、地元に方言保存会があると知り訪ねると、そこで渡されたのが『江陵方言大辞典』だった。

「この辞典には、日常で使われている、生きた言葉がぎっしり詰まっていて、江陵地方の方言の宝庫でした」(鄭さん) 

   その甲斐あってか、読者の中には、「読んでいるのにまるで話を実際に聞いているような錯覚を覚えた」という感想をもらした人もいたそうだ。