――視点を見つけたあと、物語を書き上げるまでにはやはり多くの苦労があったのでしょうか?
ワンデル 物語を完成させるまでには、実に多くの試行錯誤を重ねました。看護師が置かれている病院の状況は本当に多面的で複雑だからです。看護師自身も、病院で起こる出来事すべてを把握し、正しい答えを導けるわけではありません。たしかに看護師は患者にとってもっとも身近な存在ですが、患者とその家族と接触できるのは一日のうちごく短い時間にすぎません。それ以外の時間をどう過ごしているかは知ることができず、断続的な情報から彼らの状況を推測するしかない。だからこの映画でも、看護師のルシーの視点で描くからといって、ここで起こるすべての出来事への答えを出すことはしていません。
それでも、私はこの映画を作ることによって看護師たちの仕事にオマージュを捧げたかった。彼女たちは本当に大変な仕事に従事しています。日々膨大な仕事を抱えているだけでなく、患者とその家族にどれくらいコミットしていいのか、その線引きをつねに自分で決めなければいけないのです。それはあまりにも過酷な労働環境です。
息子に完璧な食事を与えている自分は、完璧な母親のはずだ
――若い母親のレベッカと息子のアダムの関係は謎めいて見えます。心から息子を愛しているように見える彼女が、なぜ病院食を食べさせることをこれほど拒み続けるのか。この不可解な親子関係をめぐる物語を、どのように作り上げていったのでしょうか?
ワンデル 小児病棟は、病気の子供のケアをするところであると同時に、社会の状況を映し出す場所でもあります。実際に病院を訪れ観察していると、子供の病気の治癒には両親の存在が非常に重要視されることや、ときには親の存在が子供にネガティブな影響を与えることがあるとわかってきました。そして私は、この状況を「母性」というプリズムで描いてみようと思いつき、とりわけ母性と食事という関係に注目しました。
親が子供に食事を与える行為と母性との間には密接な結びつきがあるように思います。なぜレベッカがこれほど息子の食事にこだわるのか。それは社会がつねに母親に対して過度な要求をし、「子供に十分な食事を与えるのは母親の役目だ」とプレッシャーをかけるからです。レベッカはそれに応えようとするあまり、「私は息子に完璧な食事を与えている、だから私は完璧な母親のはずだ」という思い込みに至ってしまったのです。


