「施設の方から、亡くなる2日前ぐらいに電話を頂いたんです。『血圧が下がっていて、ずっと眠っている状態なので、ちょっと心配です』って。それで急いで駆けつけたら……」

 そう明かすのは、先日102歳で生涯を閉じた作家・佐藤愛子さんの娘・杉山響子さん(66)だ。彼女が見てきた母の姿とは――。

4月29日に永眠

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晩年は認知機能が衰えていた

 佐藤さんが亡くなったのは4月29日。老衰だった。数年前から認知症を患い、高齢者施設に入居。娘の響子さんは、母である佐藤さんの認知機能が衰えていく様子を、すぐそばで見守ってきた。

 響子さんが明かす。

「母が施設に入る前、一番大変だったのは、自宅にいるのに『私は拉致されている』『警察を呼ぶ』と妄想を膨らませることでした。いくら説明しても、私を“悪の一味”のような目で見てきて、『あんたは信用できない』って。これはもう打つ手がないなと……」

浪費癖のある作家の男と結婚

 佐藤さんは1923年、作家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として大阪市に生まれた。

 43年、陸軍航空本部の主計将校と見合い結婚をするも、51年に死別。その後、56年に作家の田畑麦彦と再婚し、4年後に娘の響子さんが生まれた。

 しかし、幸せな結婚生活は続かなかった。当時を知る関係者が回想する。

「夫の田畑さんには浪費癖があり、経営していた会社が倒産。負債額は2億円を超え、佐藤さんは借金返済のために小説執筆を強いられるようになった」

 当時、田畑氏は「借金取りから妻を守るため」に“偽装離婚”を提案。佐藤さんは受け入れたが、気づけば田畑氏は別の銀座の女性と入籍していたという。

「田畑さんは、そんな状況でもカネの無心に来たらしく、佐藤先生はカッとなってお金を投げつけていたんだそうです」(同前)

 69年、そうした体験を基にした小説『戦いすんで日が暮れて』(講談社)が晴れて直木賞を受賞する。