『Ifの総て』(島田雅彦 著)

 困った。この本をどのように紹介すればいいのか、途方に暮れている。

 難解な小説ではない。タイムトラベルを生業とする花村薫が1960年や1941年に行き、日米安保条約や真珠湾攻撃の裏側を見るというSFエンターテインメントだ。花村は20年後の未来も見てくる。

 タイムマシーンは生成AIを使ったシミュレーターで、肉体は現在に置いたまま意識だけAIがバーチャル空間に作った“メタ現実”の過去や未来へ行くという設定。「何でもAIを持ち出せばOKってものでもないだろう」とツッコミを入れたくなるが、でも、これならありえるかも。

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 タイムトラベルの動機は日本の現状に対する憂いだ。なぜこれほど貧富の差が拡大したか、なぜ日本企業の国際競争力は下がったのか、なぜアメリカの従属国であり続けるのか。もしも歴史のあの時点で別の選択をしていたら、現代日本は違う姿になっていたのではないか、と。

 歴史に「もしも」を持ち込む人びとを、E・H・カーは「未練」学派と呼んで嘲笑した。でも、ぼくらは「もしあのとき、別の選択をしていたら」と悔やんでしまうものだし、過去を反省することで現在と未来に活かせるかもしれない。なお、アメリカ映画『イヴの総て』(50)とは関係がない。

 読みどころは花村や助手の芥川穂花と歴史上の人物たちとの会話だ。たとえば中曽根康弘ならぬ長曾根康彦。プラザ合意受け入れをきっかけに「あらゆる日本製品は競争力を失い、日本の多くの企業は衰退の一途を辿り、経済成長から見放され、アメリカの要求に屈するだけの国に堕落した」と難詰する花村に、「この国では売国奴しか出世できないし、首相になれるのも売国奴だけなのだ」「長く政権を担ってきた自由民主党はCIAが資金提供をし、協力者に作らせた政党なのだから、仕方あるまい」と開き直る。

 石橋湛山ならぬ石階談山は「何故、我が国の政府は未来に禍根を残すような選択ばかりするのだろう」と嘆き、岸信介ならぬ吉師伸介は「アメリカも日本国民も最もマシな人物を総理に選んだのだ。それがこのオレだ」とうそぶく。

 このような娯楽小説なのだが、ぼくが困惑しているのは、物語の出発点が日航機墜落事故(作中ではエア・ジャパン)ミサイル誤射説にもとづいていること。墜落の原因は米軍と自衛隊の合同訓練だという説があり、いくつかの本が出ている。国会でも質疑があった。しかし、これは陰謀論。朝日新聞は昨夏、ファクトチェックを行って、誤射説は誤りだと結論づけた。

 ぼくの疑問は、なぜ作者は物語の根底に陰謀論を置いたのか。マジなのかシャレなのか。本気で陰謀論を信じているのか、それとも読者をかつごうとしているのか。はたまたAIによるバグなのか。みなさん、どう思われますか?

しまだまさひこ/1961年東京都生まれ。83年「優しいサヨクのための嬉遊曲」で作家デビュー。08年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『君が異端だった頃』で読売文学賞受賞。小説のほかに随筆や評論、戯曲なども手掛ける。著書多数。

ながえあきら/1958年北海道生まれ。フリーライター。書評、エッセイを多く手掛ける。著書に『ときどき、京都人。』など多数。

Ifの総て

島田 雅彦

新潮社

2026年4月22日 発売