退院するときに医者からアドバイスされたのは「就労はしばらく休止して養生するように。再開する場合は身体に負荷が掛からない事務的なものを」ということ。退院後4か月は自宅に籠っていた。
「体調はほぼ元通りに戻ったのでまた働こうと思ったけど、経理が分かるとかパソコンを使いこなせるような人間ではないし、世の中はコロナ禍の真っ只中。タウンワークとかを見て何件か電話してみたけど、年齢を言ったら難しいですねとお断りでしたよ」
何とか見つかったのは、ビル清掃の短時間パート。8時から11時までの勤務で、時給は1200円というもの。月収は7万円がいいところだった。
「もしもに備えてそれなりの蓄えがあったので毎月3万円を取り崩し、月10万円でやっていました。食費は2万円が限度、冷房も暖房も我慢していた」
ところがこの仕事も1年半ほどでクビ。ビルを所有している不動産会社が別の清掃サービス会社に乗り換えたので、配置されていたパートやアルバイトは全員整理解雇ということだった。
「こういうわけで65歳から年金をもらうようになったわけです」
金額は9万6000円。70歳まで繰り下げれば13万6000円ぐらいになるはずだったので大きな目論見違いだった。
「月9万6000円では生活できないでしょ、たまにシニア派遣とかスポットバイトをやったけど、月収は2万5000円前後だった。それも70歳になったら紹介が途絶えた」
貯金は完全に枯渇。年金から家賃と水道光熱費を払ったら残るのは3万数千円。食事は1日2回、熱が39度になっても、胃腸炎で下痢と嘔吐が続いても、病院代がもったいないので我慢していた。「こんなんじゃ死んだ方がましだ」と思ったそうだ。
「生活保護はとんでもない」と思っていたけど⋯
このときまで石井さんは自分が生活保護の対象になるとは思っていなかった。
「10万円にも満たない金額だけど年金をもらっている。だから生活保護なんてとんでもないと怒られると思っていました」
ところが雨宿りで入った図書館でたまたま読んだ雑誌の記事に、自分と同じ低年金の人が生活保護費の一部を支給してもらって暮らしているというものがあり、「もしかして自分も」と思った。