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もう一度、競技に真剣に取り組みたくなった

 軽い気持ちで再開した陸上競技だったが、最初に出場した大会で転機が訪れる。

「せっかく入部したし、医学部だけの大会ではありましたけど、それに出場しようということになって。1年生の6月にレースに出てみたんです。そしたら自分が思っているよりもはるかに走れなくなっていて。それがとにかくショックで、悔しくて。それでもう一度、競技に真剣に取り組みたくなったんです」

 

 だが、スポーツで全国トップクラスを目指すには、地方国立大学の医学部という環境は決して恵まれているとは言えないのも事実だ。メニューを作成するコーチはおらず、練習パートナーも上手く見つからない。

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 広田は、「路頭に迷ってしまった」という状況から持ち前の行動力を発揮する。

「まずは他大の先生や選手に話を聞きに行きはじめました。高校生とは身体も変わっているし、大学生ならではの練習が絶対あるだろうなと思ったんです。環境の違いでどういうメニューの差があるか、選手層の違いでどういうメニューの差があるのか、そういうことも知りたくなったので、関東と東北のそれぞれの大学に聞きに行きました。とにかく、なにかヒントを知りたいという一心でした」

 

自らの内面が関わる部分を疎かにしていた

 そうした努力の甲斐もあり、少しずつ力を戻していった広田だったが、大学2年時に大きな壁にぶつかることになる。

「ある程度まで記録は戻ったんですが、そこからどれだけ体重を絞っても、練習で追い込んでも全然記録が伸びなくなって。もちろん学業もありましたし、『これ、もう無理だな』と思ってしまったんです」

 そうして広田は“引退試合”として、地元・新潟の大会に出場することを決めた。

「でも、そこで高校時代からの知り合いが『今はつらいかもしれないけど、あなたの走りにはすごく元気をもらっている。いま、自分一人になったからこそ、自分しかわからないことに気づけるタイミングなのかもしれないよ』と声をかけてくれて。そこではじめて“自分の内面”を考えることをしていなかったなと思ったんです」

 知識を元にした練習メニューは組めていた。だが、自分にしかわからない疲労感や練習に対するモチベーションなど、自らの内面が関わる部分を疎かにしていたことに気付いたのだという。

「そうして意識を変えて練習をしたら、翌年大学3年生の時にようやく、少しだけですが自己ベストが出せた。そこが転換期だったと思います」

 

 そこからは陸上競技と学業の両立も、軌道にのってきたという。

「冬場は雪が多いという地域的なハンデもありますけど、そのおかげで自分から外に出ようと行動するようになりました。動けないなら暖かいところへ行くとか、あとはトンネルとかも練習に上手く活用できる。そういう日常の環境を上手に使えるようにもなったと思います」