昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

ハリウッドザコシショウが一番尊敬する人「竹中直人さんを見て芸風が固まった」

テレビっ子・ハリウッドザコシショウさんインタビュー #1

僕は“2代目ザコシショウ”なんです

―― 中学、高校では、クラスでのポジションって変わりました?

ザコシショウ もうね、前に出るのがもうサムいんですよね。だから小5、6のスタンスの延長。それで高1のとき、昔「G★MENS」っていうコンビを組んでいた、相方の「静岡茶っぱ」――浅井和仁くんと同級生として出会うんです。その浅井くんが不良グループによく絡まれていたんですよ。でもそういう“いじめられているグループ”の中で浅井くんは威張ってたんですよ。いじめられているメンバーのトップ、“ザコの中の師匠”だったんですよ。だから「お前、ザコ師匠だな」って言って。

 それで最初は茶っぱくんに、「ザコシショウ」っていう芸名にしろって言ったんです。そうしたら、「ザコシショウだけは嫌だ」って言われて。「じゃあ、俺がザコシショウもらうから、お前、なんかつけろ」って。「ザコシショウ以外だったらなんでもいいよ」って言ったから、これ絶対につけないだろうなって思って「臨海学校のときにお前、屁がドブみたいな匂いがしていたから、ドブシショウにしろよ」って(笑)。絶対に断られると思ったんですけど、「いや、それでいいよ」って言われて。デビュー当時、僕ら、ザコシショウとドブシショウだったんです。絶対、ドブシショウのほうが嫌だと思うんですけど。ハハハハ。1日くらい相方がザコシショウだったから、僕は“2代目ザコシショウ”なんです。

高校を卒業して“わざわざ”静岡から大阪へ

―― 小2以来、お笑い芸人にはずっとなりたかったんですか。

ザコシショウ そうですね。やっぱりたけしさんの影響がありますよね。すごく憧れましたね。それで竹中直人さんを見てこういう芸風に決まった感じがします。高校を卒業して茶っぱくんとコンビを組んで、東京に行くか、大阪に行くかという選択肢があったんですけど、東京ならウッチャンナンチャンさんの出た横浜の映画学校(現・日本映画大学)、大阪ならダウンタウンさんが出たNSC。映画学校は金銭的にウン百万するけど、NSCだったら当時は年間十何万だった。じゃあこっちしかないって、わざわざ静岡から大阪に行ったんですよ。

 当時僕らくらいしかいなかったですからね、静岡みたいな遠方から大阪に来るっていう人が。それでデビューして、(心斎橋筋)2丁目劇場っていうところがあったんですけど、そこでわけのわからない同期の中川家とかケンコバ(ケンドーコバヤシ)とか、あと先輩のなだぎさんとかバッファロー吾郎さん、リットン調査団さんとかと絡むようになったから、こういう芸風にもうがんじがらめですよ。フハハハハ。

#2 ザコシショウが明かす「パンツ一丁はタモリさんへのオマージュ」
http://bunshun.jp/articles/-/9008

#3 ザコシショウが語る同期芸人「ハンマーカンマーのきっかけはケンコバ」
http://bunshun.jp/articles/-/9009

写真=石川啓次/文藝春秋

ハリウッドザコシショウ/1974年生まれ、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。1992年、大阪NSC11期生として入学。1993年デビュー、G★MENSとして活動。2002年コンビ解散、ピン芸人に。TBS「あらびき団」に2007年初回から出演。関西テレビ「R-1ぐらんぷり2016」にて42歳で優勝、史上最年長の王者となる。

この記事の写真(9枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー