「北海道で農業をしながら芸能活動をする」という、当時としては異色のコンセプトで活動していたハロー!プロジェクト所属のアイドルグループ「カントリー娘。」。1999年、デビューを目前に控えた彼女たちを襲ったのは、メンバーである柳原尋美さんの事故死という悲劇だった。

 それから27年が経った。あの日の記憶と残された葛藤について、今もステージで歌い続ける「カントリー娘。」初代リーダーの小林梓さんに、ライターの佐藤ちひろさんが詳しく聞いた。

小林梓さん ©︎細田忠/文藝春秋

デビュー直前、3人で夢を語り合った日々

 当時22歳だった小林さんは歌手になる夢を叶えるため、テレビで見つけた「カントリー娘。」のオーディションに応募したという。乗馬や牛の世話、ペンキ塗りまで審査に含まれるという異例の選考を経て、初代メンバーに選ばれた。

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 メンバーは酪農担当となった小林さんに加えて、何でも器用にこなせる乗馬担当のりんねさんと、しっかり考えて行動するタイプで畑仕事などを担当する尋美さんの3人。親元を離れ、北海道の地でルームシェアをしながら暮らしていた彼女たちとの関係は、まるで家族のようだったと小林さんは振り返る。

「まつ毛に氷の結晶ができるほど寒い中、みんなでデビュー曲を一緒に練習しながら歩いたことが、とても思い出深いです」

 夜には尋美さんの部屋に3人で集まり、「売れたら毎年ハワイに行こうよ!」と笑い合っていたという。デビューへの期待とともに、絆も深まっていくばかりだった。

カントリー娘。として活動していた当時の写真 本人提供

時間になっても、尋美さんは来なかった

 悲劇が起きたのは、1999年7月16日のことだった。その日は牧場の仕事を終えてからダンスレッスンへ向かう予定だったので、小林さんとりんねさんは少し離れた場所で作業していた尋美さんが車で迎えに来てくれるのを待っていた。

「ところが、時間になっても来なくて」と小林さんは静かに語る。グループの発案者で、3人が滞在した牧場の経営者でもあった田中義剛さんの妻が様子を見に行ってくれたが、すでに自動車事故が起きた後だった。レスキュー隊が到着し、尋美さんが担架で運ばれていく場面を目撃したという。

「その後からの記憶はショックもあり、はっきりと覚えていないところもあるのですが……」

 小林さんたちは病院で待機したが、数時間前まで一緒にいた尋美さんに何が起きたのか、すぐに理解することは難しかった。そして数時間後、尋美さんの死が知らされた。小林さんの心の内には、消せない後悔が残った。

「尋美はあの日、ファームショーの司会がうまくいかなかったことに落ち込んでいたんです。だけど、当時はみんなそれぞれ壁にぶつかっていて、自分のことで精一杯で、誰かを気遣う余裕もなくて……。今でも、あの時もっと励ましの言葉をかけてあげられたんじゃないか、と思います」

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 続く記事では、心を痛めた小林さんがグループを脱退するまでの経緯や尋美さんのご両親の言葉、元メンバーのりんねさんとの再会などをまとめています。ぜひ、合わせてお読みください。

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