政治家、実業家、軍人、作家……名士の隠された女性問題を暴く『蓄妾の実例』など、スキャンダルを武器に明治の大衆を熱狂させた新聞『萬朝報』。その創始者は、ベストセラー作家にして「探偵小説の祖」と呼ばれた黒岩涙香である。暴露とエンタメ、ビジネスと社会正義。権力者を撃ち、人々の「知る欲望」に応え続けたメディア王の真実を描いた、野崎六助著『元祖スキャンダリスト黒岩涙香』(文春新書)より一部を抜粋する。
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「赤新聞」の誕生
『萬朝報』の一側面は、赤新聞だった。赤は低俗、赤は下品。スキャンダルで売る。お家騒動、淫欲の新興宗教、首都にはびこる権妻、妾に乱される風紀。
売れる話なら、マムシのように喰らいついて放さない。下品醜悪独善非情、大衆迎合。ジャーナリズムの使命は暴露にある。スキャンダルとは社会の不公正を正す正義の武器なり、と彼はいった。もちろん、建て前論だ。萬朝報はわたしだ。だからその建て前を「本気で信じていた」と思わせるものがある。
この章は、「スキャンダルこそ正義だ」を闇雲に疾走した萬朝報の激戦の跡を追うことから始まる。先立って、この新聞の沿革を記しておこう。
萬朝報の創刊は、一八九二(明治二十五)年十一月一日。この年まで涙香は、『都新聞』の花形記者・連載小説の人気作家として、同新聞の発行部数を倍増させる実績を残していた。それ以前にいくつかの新聞を経験していたが、社員記者という在りように限界を感じていた。萬朝報は、自分がオーナーである新聞を持ちたいという念願の実現だ。言論の拠点を自前に持った。涙香三十歳、萬朝報暦元年の秋だった。
作家であり主筆であり、言論機関の社主も務める。この八面六臂はそれ自体で類例のないものだった。文壇派のビッグネーム尾崎紅葉は、その活動期の大半を『読売新聞』の社員記者として過ごしている。高踏不遜の文学者は半面で、あとの半面は月給取り。売れる文学・売れる小説の素材を求めつつ、経営者とも対立した。比較すれば、涙香の位置は、不動、萬朝報と一体化していた。
萬朝報創刊にあたって、他紙への広告も打った。
お馴染の涙香小史が来月一日より
萬朝報 一枚代価一銭、一ヶ月前金廿銭、
三ヶ月前金六十銭、一ヶ年同一円十銭
といふヘイ娑婆気な絵入新聞を出します
引用は、さきにふれた涙香会編『黒岩涙香』による(この書物は、以降たびたび利用することになるので、「涙香会本」と略記する。基本は、故人の三回忌を記念する文集であり、研究の方向はそなえていないが、第一級の資料である)。
横三十九センチ、縦五十五センチ。文字五段組、四面の紙面。情報量が多いわけではなかった。
涙香はこの新しい新聞の記事について、「短い・わかりやすい・面白い」という三原則を立てた。
小新聞の四ページのかぎられた紙面を最大限に活用するための実利的心得でもあったが、同時に、これは、新聞としての方向性、スタイルを定めるための標語でもあった。
三原則を立てた「発刊の辞」は、文章の平易・通俗を勧め、次のようにいう。引用は、読みにくいのは承知のうえで、出来るだけ原文の仮名遣いを尊重した。だが保証する──。この男の、明治一代の時代がかった熱血の文体。これは、慣れればクセになる、と。
旦那の後ハ細君読み番頭読み小僧読み下女下男読み詰所一銭の価にて家内中皆益するが故に此この上うえなき安
きものなり、一人頭にハ一厘に足らぬ事ともならん一家経済の秘伝ハ此辺に在りと知る可べし
一部一銭、というのは萬朝報の単価だ(かけ蕎麦が一杯一銭の頃)。一カ月分の前金システムにして、二十銭。他紙は、これが三十銭から五十銭だったから、相当に思いきった価格設定だった。それにくわえて、内容がわかりやすいから、教養のある旦那ばかりでなく、一家全員の回し読みが出来て、実質価格は十分の一にも満たない、家内の安全と円満をも保証する、と──。巧みな香具師の語り口だ。


