女と男が不倫の果てに心中を図る「事件」はそれほど珍しくない。明治・大正・昭和の時代にも数多くあっただろう。しかし、いまから118年前。1908年3月に栃木県塩原(現那須塩原市)で起きた「心中未遂」は、当時連日新聞にセンセーショナルに報じられて時代を画す一大スキャンダルになった。
その後、男性が「事件」をモデルに書いた小説のタイトルから「煤煙事件」とも呼ばれ、いまにその名を伝える。男性は著名な作家・森田草平となり、女性は日本の女性解放運動の“旗手”平塚らいてう(雷鳥)となるが、「事件」の真相はどうだったのか、そして、なぜそれほどの騒ぎになったのか。探っていくと、新たな変化に揺れる時代を映し出していたことが分かる。当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の1回目/続きを読む)
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1908(明治41)年3月23日、月曜日。東京二六新聞(以下、二六)はアメリカ・ワシントンやイギリス・ロンドンからの「特電」と、横浜で静岡県から海外に密航しようとしていた一団が検挙されたニュースが載った1面に次のような記事を載せた。
23歳の娘が突然消えた
令嬢の紛失 會(会)計檢(検)査官の娘 女子大學(学)卒業生
(東京市=現東京都)本郷区駒込曙町(現文京区本駒込1~2丁目)13番地、会計検査院第一部第四課長検査官、平塚定二郎氏次女・春子(23)は21日夜10時ごろ、家人が知らないすきに家出し、いまも行方が判明しない。そのため、同家の心痛はひとかたならず、万一華厳の滝に行ったりしないだろうかと、同区西片町に住む親族の大内丑之助氏が栃木県知事と親交があるのを幸いに同県宇都宮署に保護願を提出。本紙記者は直ちに平塚家と親族宅を訪問した。
原因は不明
春子は一昨年、日本女子大学家政科を卒業した後は家事の手伝いをしていた。性格は極めて温和で、現今のいわゆる女学生らしいところが少しもなく、親の目を忍んで男と関係を結ぶようなふうには見えないと同家と親族は言う。だとすると、表面からは、恋が思うようにいかないと心に抱えていたふうには思えない。しかし、ここで注目すべきは、春子が美人なのにいまだかつて一度も縁談がなかったことだ。
遺書などなし
家出の当時は、家人は全く知らず、多額の現金を所持していなかったうえ、着衣も普段着のままだったようで、遺書などは一切発見されていない。
当時の新聞は人間についても「紛失」という用語を使っていたようだ。この記事はそもそも名前を間違っている。彼女の正式な姓名は「平塚明」で、名前の読みは「はる」。通称「明子」とも呼ばれており、この文章でも以後そう表記する。



