「親も感服するほどの勉強家」「結婚を嫌って家出」 

 東日と同じ3月24日付では萬朝報(よろずちょうほう)もこの「事件」を報道。明子の父親に話を聞いている。

「記者は昨日、平塚定二郎氏を訪れたところ、氏は『どうも、とんだ迷子ができて困りました。明子は親も感服するほどの勉強家で、ことに近来禅学に興味を抱いてきた様子で、その結果、結婚を嫌って家出したのでしょう。どうも性質が“藤村操的”ですから、日光方面の捜索に全力を挙げています』とのこと」

萬朝報は一貫して「禅学令嬢」と表記した

 ここでもやはり「藤村操」が出てきた。同紙の見出しは「禪學(禅学)令嬢の家出 厭世自殺の為か」。同紙はこの後の6日間、一貫して「禅学令嬢」の表記で報道を続ける。

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 同じ日付の二六の続報では明子の写真が初めて登場した。姉と二人、着物を着て斜めの姿勢でカメラを見つめる姿はいかにも意思が強そうだ。この写真を添えた記事の方もかなり踏み込んでいる。

東京二六新聞に初めて載った明子(手前)の写真。奥にいるのは姉

「忌まわしい痴情沙汰などはない」

文士の秘密会

 明子の家出については、かねて平塚氏の恩顧を受けた文学士・生田弘治氏が深く心を痛め、このことが広く世間に知られた場合は平塚家の不利益はこのうえないとして親戚一同が集まり、密議をこらした。そのうえで22日夜、知人の文士数人を生田氏宅に招き、夜半まで何事か密議した結果、23日は数人が各方面に分かれて捜索に当たったが、その内容についてはそろって口をつぐんでいる。

 

徹夜の大捜索

 生田氏は明子の行方を探そうと家出当夜から3日間、徹夜で心当たりを探したが、既に東京にはいないと信じて、23日は明子の母とともに宇都宮署に出頭して植松(金章)警察部長に「もし死体が発見された場合は、秘密に引き渡してもらいたい」と懇願した。

 

思想界の大問題

 生田氏が部長に語ったところによると、明子が自殺したとすれば思想界の大問題としてみるべきものがあり、明子は遠大な一個の理想を抱いてその犠牲となり果てたといえる。決して世の軽薄な女性のように忌まわしい痴情沙汰などはない。定二郎氏は孟嘗君(中国戦国時代の宰相)もどきの人物で、同家に寄宿する学生は多く、普段出入りしている学生も多いが、明子は別に彼らと交際するようなことはない。ただ、大学生の森田某だけは思想の友として交際していたが、その間、何ら疑うようなことはないと繰り返し弁解した。