いまから118年前。1908年3月に起きた「心中未遂」は、当時連日新聞にセンセーショナルに報じられ時代を画す一大スキャンダルになった。
その後、男性は著名な作家・森田草平となり、女性は日本の女性解放運動の「旗手」平塚らいてう(雷鳥)となるが、なぜそれほどの騒ぎになったのか。事件の真相は? 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の4回目/はじめから読む)
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「死を決した原因は?」
平塚明子(本名は明。当時23)との心中未遂の末、塩原から帰った森田草平(本名:森田米松。当時27)は恩師の夏目漱石宅に駆け込み、“保護”されていた。3月28日付萬朝報が「欠落(駆け落ち)文學士を訪ふ」でインタビュー記事を載せた。
玄関先で待たされること20分余り、やっと応接室に通され、やがて悄然として歩み出たその人を見ると、色青ざめてやつれた顔に金縁の眼鏡がきらめくのがことさら目立つような気がした。記者はまず「塩原まで死にに行ったのはどんなお考えから?」と聞けば、「それは申し上げかねます」と言う。
いろいろ聞くうちに「すべて世間の批評というものは、本人の意見を参考にしないものであります。また、それが当然であります。今度のようなことをしでかしたからには、皆さんからどんな批評を受けても致し方ありません。非難はもとより覚悟のうえですが、よく私を理解して下すったうえでの非難ならば、同じ非難を受けながらもうれしいと思います。既に世間から葬られた私がいまさら自分を弁護する権利も必要もありませんが、みだりに私の心事(=心配ごと)に立ち入って解釈されては迷惑です。きょう御社の新聞に出た記事も見ましたが、明子は実際、あれくらいのことを言いかねない婦人です。おそらく、あれ以上のことを言い得る婦人であります。自分の所業に対して世間へ弁解の必要があるような、そんなくだらない婦人ではないということはあくまで信じております」と気炎を吐いた。
「それでは、死を決した原因は?」と聞けば、「2人の性格から出たのであります」と答える。「その性格は?」と聞けば、「ご判断に任せるよりほかはありません」と答えるのみで、それ以上は語らず。「今後どうする考えか」と意向を探れば、「死ぬことは思いとどまりました。これから社会と奮闘する覚悟です」と言う。「明子との関係は?」と駄目を押せば、「人間の頭は刻一刻と変化していくから、その時になってみなければ、いまから断言はできません」と言う。なるほど、これが自然の成り行きに任せる、いわゆる自然主義だろうかと、このうえ追及しても無駄と思ったので、そこそこに辞して帰った。
それこそ自然主義の勝手な解釈だろう。そして萬朝報は6日間連続報道の締めくくりの3月29日付の「小説以上の事實(実) 禪學令嬢事件の眞(真)相」で一連の経過を説明したうえ、大胆に「事件」を総括した。



