そんな中で起きた最高学府出身の男と、超エリートの令嬢の「心中行」。軽佻浮薄に覆われていた世間がどんなふうに見たのか、想像に難くない。「ほら見てみろ、どんなに学があっても、こんな馬鹿なことをするヤツがいる」「知性や教養がある人間は理屈が多くてうっとうしい」……。そんなところだろう。さまざまな面で新しい動きが起き始めていた一方、それに対する反発も。

 明子と草平の言動は観念的で特異だったが、2人の間に性的な関係はなかったとみられ、正確な意味で「心中行」だったのかどうかも疑わしい。それでもメディアと世論の大勢は「鼻もちならない」新しい動き全般に対する不安と違和感を2人に集中してぶつけたように思える。明治の終わり、「大正デモクラシー」までには日韓併合(1910年)や大逆事件(1911年)を経なければならなかった。

【参考文献】
▽小林登美枝『平塚らいてう 愛と反逆の青春』(大月書店、1977年)
▽伊藤整『日本文壇史7 硯友社の時代終る』(講談社、1978年)
▽山本武利『新聞と民衆 日本型新聞の形成過程』(紀伊國屋書店、2005年)
▽伊藤整『日本文壇史12 自然主義の最盛期』(講談社、1971年)
▽森田草平『漱石先生と私 下』(東西出版社、1948年)
▽佐々木英昭『「新しい女」の到来 平塚らいてうと漱石』(名古屋大学出版会、1994年)
▽『日本近現代史辞典』(東洋経済新報社、1978年)
▽色川大吉『明治の文化』(岩波書店、1970年)

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