文春オンライン

連載明治事件史

「この男を殺せば好きな役者と一緒になれる…」“絶世の美女”をさらし首に追い込んだ悪念

「この男を殺せば好きな役者と一緒になれる…」“絶世の美女”をさらし首に追い込んだ悪念

「夜嵐お絹」事件 #1

2023/01/15
note

 明治時代は正味約44年。その中で性格は大きく変わっている。明治初年は、長かった江戸時代の雰囲気がまだ色濃く残っている。

 今回取り上げる「夜嵐お絹」の事件も、ネーミングからして大時代で芝居がかっている。実際に事件が起きてから7年後、「草草(双)紙」(くさぞうし=江戸中期以降流行した、挿絵を中心の通俗小説)で人気が沸騰。犯罪に絡んだ他の女性と合わせて空前の「毒婦ブーム」を巻き起こした。

「於衣(夜嵐お絹)の肖像」(「新編明治毒婦伝」より)

 そこには、江戸から明治維新を経て東京となった社会と人々の動揺が大きく影を投げ掛けていた。文中、いまは使われない差別語、不快語が登場するほか、敬称は省略する。なお、1872(明治5)年11月以前は太陰暦(旧暦)、以後は太陽暦(新暦)で表記。

ADVERTISEMENT

「密通」「毒殺」、そして「さらし首」

 当時の新聞の保存状況も関係して、この事件に関する新聞記事は極めて少ない。発生・検挙時の記事も残っていない。「夜嵐お絹」=本名・原田きぬ(キヌ)=の死刑執行を報じたニュースがあるだけ。それも官庁発表がベース。漢字とカタカナで瓦版に毛が生えたような東京日日新聞(東日=現毎日新聞)だ(原文のまま)。

 明治五年ツチノト(己)申(さる)二月廿(二十)三日

 西洋(西暦)千八百七十二年四月第一日 

 日曜日

 第三號(号)

 晴寒暖計五十九度(華氏=摂氏15度)

 こんな題字の後に地所売買を認める「公聞(公告)」や、フランスでの体験から乗馬を戒める説があるという話題、大阪の劇場移転が許可されたニュースの後に次のような記事が――。

 捨札の寫(写=うつし)

 東ケ井(東亰=東京)府貫ゾク(貫属=本籍)

 小林金ペイ(平)妾(めかけ)ニテ

 浅草駒形チヨ(ョ)ウ(町)

 四番借店(借家)

 原田キヌ

 歳二十九

 此(この)者ノギ(の儀)妾ノ身分ニテ嵐璃鶴トミツゝ(ツ)ウ(密通)ノ上、主人金ペイオ(ヲ=を)毒殺ニ及ブ段不届至極ニ付、浅草ニオイテキヨウボク(梟木=梟首)ニオコナウ者也

 ミギ(右)ハ當(当)二十日ヲン(御)仕置トナリ昨廿二日迄(まで)三日ノ間、同處(処=所)ニ晒(さらし)アリタリ。猶(なお)リカク(璃鶴)ノ處置ハ次號(号)に出ス

「夜嵐お絹」梟首の「捨札」の内容を報じた東京日日

「妾」は「その男性と肉体関係を持ち、生活を保証されているが、正式な妻としては扱われないで暮らす女性」(「新明解国語辞典」)。当時は妻に準じて扱われ、配偶者以外と性的関係を持つことを罰する「姦通罪」が適用された。

「梟首」とは「さらし首」。斬罪の後、斬られた首を公衆の面前にさらされることだ。まだこの時点では江戸時代以来の刑罰が維持されていた。「捨札」とはさらし首に添えて罪状を記した立て札のこと。ここまでがその内容だが、記事は続く(現代文に書き換える)。