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狂い始める彼女の運命

 郵便報知の記事は二人の出会いを具体的に書いていないが、そうした“役者買い”だったことは間違いないと思われる。ここから彼女の運命の歯車は狂っていく。記事は続く。

〈幕の間に楽屋に忍ぶ恋路さえ気ぜわしく、都合が折り合わずに積もる話も打ち明けられず日を過ごした。「これではきりがない」と度胸を決め、ある日の夕方、約束して璃鶴の家を訪問。きょうは人目もないから互いに心の謎を解いて、罪を酒にかこつけて夜の更けるまま転び寝の、暁を告げるカラスの声が二人の仲を取り結ぶ。この仇夢(艶っぽい夢)が身を亡ぼす種とは知らなかった。

 これからきぬは璃鶴のことが忘れられず、恋しいと思えば思うほど、小林を嫌って、そばにいるのさえいとわしく、言葉を交わすのも腹立たしくなった。たびたび暇をくれるよう言ったが、小林は疑うばかりで聞き入れない。

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 そのまま月日が過ぎたが、これほど思い込んだ恋が休むはずはない。ついによからぬ心を起こし始め、あさはかにも、王子稲荷への参詣からの戻り道、板橋の「縁切り榎(エノキ)」の皮をはいで持って帰り、事情を知っている「下女」に、小林が帰宅したら、うまくだまして飲ましてくれと頼んで璃鶴のところへ出かけて行った。〉

おきぬと璃鶴(「新編明治毒婦伝」より)

「ゆうべはどこへ泊まった」と核心を突く言葉が…

 ここまでが郵便報知7月8日付記事の内容で「以下次号」とある。中山道の最初の宿場・板橋宿に「縁切り榎」があり、その皮をはいで煎じ、別れたい相手に飲ませると縁が切れるという言い伝えがあった。このあたりはまだ可愛げがあった。だが、事態はエスカレートする。次号7月9日付の記事は――。

〈小林が猿若町に来てみると、きぬはおらず、夜が更けても帰らない。何か理由があると思ったが、どこへ行ったか分からなかった。思えばこのごろ、しきりに暇を乞うだけでなく、変なそぶりも見える。問いただしてみなくては、と思いつつゴロリと一人で寝た。

 そのころ、そうとは知らないきぬは璃鶴の家で酒を酌み交わし、夜明け近くに寝た。日影に驚いて身支度もそこそこに、頭巾をかぶって人目を避け、やっと家に帰ってきた。小林はきぬをハッタとにらみ「ゆうべはどこへ泊まった」と“うなじに五寸釘を打つ”(核心を突く)。

小林金平に責められるおきぬ(「夜嵐阿衣花廼仇夢」より)

 ハッとばかりに平伏して言い訳にも口ごもるきぬの襟首を捕らえ、手元のキセルを取って所構わずめった打ち。隠し立てもできず、きぬは、璃鶴とこうこうこうなったと打ち明け、「これからは心を入れ替えてどんなことも辛抱するから、今度の不始末はどうか許してほしい」とわびた。小林も根が首ったけのきぬのこと、髪を切って改心の証しとしてその日は収まった。〉