「私を殺すことができますか」「確かに殺します」

 明子の性格は外国文学などを読みふけった結果、常識では想像できないほど空想的になり、かつ自尊心の強いことは驚くべきで、男を眼下に見下し、翻弄することに強い興味を持つという女。森田が愛を求めてきたのを見て、これを翻弄して強い自我を満足させようとした。

 

 森田に答えていわく「私はあなたを愛することは到底できません。愛は自我を捨てねばできぬことです。2つの自我が1つになることです。私は生きている限りは、この自我を何びとにも捧げることはできません。生きている限り、あなたと私は別々の個人です」

 

 森田はこれを聞くや、「生きている限り、愛することができぬとおっしゃるなら、死んでください」と言う。

 

 明子「一緒に死ねば、やっぱり私の自我は捨てられます。しかし、殺されるのは別問題です。殺されるということは私の自我に何らの影響を与えません。あなたははたして私を殺すことができますか。殺して私が息を引き取る間際に『愛します』という一言を発するかどうかをお試しになるのもいいでしょう」。

 

 森田「私はあなたを殺すことができないような薄弱な男じゃありません。確かに殺します。そして、あなたの最期の言葉を聞こうという好奇心を持っています」。

 

 こうなってはもはや恋愛も何もあったものではない。いずれが自我の満足を得るか、勝つか負けるかという意地になり、両人とも意を決して家出した。さていよいよ2人一緒に行方も知れず出掛け、どこで死んでもいいとなれば、森田は未練があって明子を殺す勇気を失う。そうは言ってもいまさら一歩も退くこともできず、このうえは境遇の力を借りて女を殺し、自分も死のうと決心。それで明子とともに山深く分け入ったのだ。

 

 森田は普段ダンヌンツィオの『死の勝利』を愛読。男女が互いに自我を張り合い、ついに男は女を山中に導き、絶壁から蹴り落としたが、女はツタに身を絡まれて引っ掛かり、「助けてくれ」と誇りを失った叫びを発したのを男が聞いて「ああ、ついに我勝てり」と笑って自分も谷に飛び込んで死ぬという結末を非常に気に入っていたので、彼はその「死の勝利」を再現しようとしたようだ。

 

 さて、保護された後の2人の言行はどうかというと、森田は「自分は新しい生命を得た。今後はすべて芸術に身を捧げたい」と言う。明子は連れ帰られる途中から、森田に同情を表わすような態度を見せていたが、複雑な性格だから、その底には、森田のために社会から葬られたことを恨み、永久に森田の胸に自分の名前を刻んで煩悶させようと思っているようだ。

萬朝報は大胆な事件の総括を載せた

漱石は「2人がやってきたことは恋愛ではない」と…

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 かなりうまくできた「謎解き」で、『「新しい女」の到来 平塚らいてうと漱石』も、森田草平の『漱石先生と私 下』(1948年)の中で、草平から「事件」の一部始終を聞いた漱石が「2人がやってきたことは恋愛ではない」「それは智的闘争(インテレクチュアル・ファイト)にすぎない」と言い切ったことを挙げ、「『万(萬)朝報』の謎解き、決して荒唐なものではない」と“判定”している。