論戦回避する人が、プーチンとガチでやれるのか?
私は以前の当コラムで、〈「いつまでモリカケ」論 新聞読み比べで分かった“それでもモリカケする”理由 モリカケは、外交にもつながる問題ということ〉を書いた。
モリカケ問題が本当に小さな問題だとしたら、そんなことで詰められているリーダーが果たしてトランプ米大統領や北朝鮮の金正恩氏と対等に渡り合えるのか? 小さな問題でのこの立ち居振る舞いのマズさは、大きな問題での大チョンボ予告編ではないのか? と書いた。神は細部に宿ると。
今回の「石破茂との論戦回避→ロシア訪問へ→プーチンにガチの討論を仕掛けられる」という流れをみると因果応報とさえ感じる。
実は「プーチン戦」後も異変は起きた。総裁選討論会だ。日刊スポーツ「政界地獄耳」は「はぐらかし 言い逃れ 安倍1度の討論会で玉砕」と書いた(9月17日)。
政治家にとって、日頃の論戦が大事ということ
《首相・安倍晋三の狼狽が、誰にも伝わった。手なずけてきたと思っていたメディアが先日の総裁選討論会で政策ではなく、今までの政治姿勢について質問したのだ。答弁は国会の時と同様、はぐらかしたが、国会で通用した答弁のすり替えを、ベテラン記者たちは容赦しなかった。稚拙な言い逃れを始めた首相に、予算委員会でみられる自民党議員のヤジや、忖度でのし上がった高級官僚の手助けもなく、盟友の閣僚たちの助っ人も来てくれない。》
《本来、首相とはこんな孤独な仕事ではないのか。イメージで「やっている感」を出し、それを強調してくれる言いなりの記者も助けてくれない。1人で戦うとはこのことだ。この情景が想定できたのか、首相は討論会を極力避けてきた。》
「地獄耳」師匠の締めは、
《アドリブが利かず、感情的に答える首相に、内閣官房参与で首相のスピーチライター・谷口智彦は、どんな言い訳を生み出してくるのだろうか。》
地獄耳というか、耳が痛いことばかり書いてる。ここでもアドリブの大切さが……。
ここはひとつ、安倍首相3選への祝いの言葉として、
「大舞台で不穏試合を仕掛けられても切り返せるように、日頃の討論はやはり大切だ」
と各紙社説は書いたらどうだろう。