――復帰から半年後には退社。フリーランスへの転身もまたスピーディでした。先のことを見越して周到に準備されていましたか?
豊崎 それが私、思いつきで行動してしまうタイプで、何の準備もしないまま辞めてしまったんです。あれだけ大好きだった会社なのに、不思議と迷いはありませんでした。というのも、子どもを産んでみて初めて知る感情があまりに多かったんです。
以前のように残業したり、飲み会に参加したりできず、会社員でいる以上「100%の力で仕事に向き合うべきなのにそれができない」という現実と闘っている感覚でした。その一方で、子どもの顔を見るともっと子どもと過ごす時間も増やしたい。制度も整っている温かい職場だからこそ、このモヤモヤを抱えたまま働き続けるのは失礼だし難しいなと。「違う道を考えてみるのもありかもしれない」と思いました。
――レギュラー番組を失うという不安は感じませんでしたか。
豊崎 ありましたけど、産休に入るときにレギュラー番組を降りなければならないという経験をすでにしていましたから、その時の方がずっと不安でしたね。
コロナ禍で仕事が激減、新たな道として保育士資格を取得
――退職されてすぐにコロナ禍に見舞われ、フリーランスという立場は業種を問わず影響を受けましたよね。
豊崎 フリーランスとして決まっていたテレビのお仕事なども含めて、一度すべてが白紙になってしまいました。この先どうしようかなと思いつつ「仕事がないなら、この間に2人目を考えようかな」って。
――なんと前向きな発想! 第2子が生まれた後に、保育士のアルバイトをされていたと知ってそれも驚いたのですが、もともと資格はお持ちだったのですか。
豊崎 保育士の資格は、第1子妊娠中に取得していました。
――そんなに短期間に……。しかもお仕事で結構悩んでいる期間でしたよね。
豊崎 保育士は絶対的に人数が不足しているので、資格を取りやすくする仕組みが整っているんです。半年ごとに試験があって、9科目全部を一度に合格できなくても、合格した科目は2年間持ち越せます。私の場合、1回目で2つ落としてしまったのですが、半年後の試験で合格して、その後の実技試験を経て取得しました。
――それは、会社員としてだけでなく、アナウンサーのお仕事自体への不安もあった、ということですか。
豊崎 それも多少はありましたね。自分の都合とはいえ、任せていただいていたレギュラー番組を一度すべて降りる経験をしたので、やっぱりどこかで不安はずっと抱えていたんだと思います。
――「自分の都合」と仰いましたが産休ですよね。それは、仕事に対する責任感が人一倍強いから?
豊崎 どうでしょうね。私が入社した年は久しぶりのアナウンサー採用で、若手も少なかったので本当にいろんな経験をさせてもらいました。でも、復帰後は、以前のように働くことは難しくて、働きやすさを求めて社内に保育園を作りたいと考え、当時の社長に提案したこともあったのですが叶いませんでした。大きな企業が1人1人に合わせて柔軟な対応をするのはなかなか難しく、希望が叶わないのは当然のことだと思いました。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
