国際政治学者の佐橋亮氏は、今後の世界を築く上では、「最悪の未来から逆算して、いま何を準備するべきかを考える必要がある」と述べる。佐橋氏がそうした「底線思考」を軸に世界情勢を考察する論考から、イラン戦争について語った箇所を一部紹介します。

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イラン戦争、最悪は連鎖する

 最悪のことは続く。イラン戦争は始まりも最悪だが、なかなか収拾をつけられなかった。6月半ばに戦闘終結の合意が発表されたが、それが継続するのか、ホルムズ海峡の安全が元通りに回復するのか、依然として確証はない。

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 常識的な合理性だけを判断の基準にしていたから、トランプ大統領があのようなイラン攻撃を決断し、その後戦争の長期化に苦しむ展開に十分に備えることができなかったのではないだろうか。

ドナルド・トランプ米大統領 ©CNP/時事通信フォト

 トランプ政権が場当たり的であることは、第一次政権の時から変わらない。しかし、軍事力を大胆に行使し、戦争が泥沼化するところまで十分に想定できていなかった。事前の米軍の動き等を踏まえれば専門家やAIの予測で攻撃開始はあり得そうでも、その先のここまでの悪い展開は読み切れなかったように思える。イラン指導部中枢を標的とした初動にはじまり、イランによる周辺諸国への攻撃、そしてホルムズ海峡通過の交渉カード化といい、蓋然性だけで判断すれば排除されそうなシナリオが組み合わさって展開した。米軍の戦費は4兆円を超え、6000を超えるミサイルやドローンの攻撃を受けた周辺諸国の復興費用は9兆円にのぼる見込みだ。世界経済の成長は0.4ポイント押し下げられると世界銀行は予測する。

 イラン戦争が教えたのは、トランプ大統領がかねて自称してきた「戦争をしない大統領」ではなかった、ということだけではない。より重要なのは、戦争を始める決断と、戦争を終わらせる能力は別だということだ。攻撃開始直後より、シカゴ大学教授のロバート・ペープは、空爆だけで戦争目標は達成できないと喝破した。攻撃目標を精密に打撃する能力は確かにアメリカやイスラエルに優位があった。しかし、政治体制の維持に執念を燃やしたイラン政府のしぶとさは、トランプ大統領が想定したような合理性を越えたところもあった。

 さらにイラン戦争は、安価なドローンでもかなり多くのことをなし得ることや、民間商船の安全確保や船員確保の困難さから、海峡の封鎖が実は想定よりも簡単に行えることを世界に示してしまった。

 これからを見通しても、イランは簡単に核放棄に応じるとは思えない。また世界がホルムズ海峡の安全や中東の安定にどこまで確信を持てるようになるかは分からない。交渉の蚊帳の外に置かれ、合意に納得いかないイスラエルがレバノン攻撃などで挑発しても、アメリカはすぐに有効な手立てを打てなかった。アメリカはそれでも無責任に中東からフェードアウトするかもしれない。「トランプの戦争」は想定以上のダメージを世界に残していく。

 ホルムズ海峡は、日本の読者にとっても決して遠い海ではない。ニュース映像に映るタンカーは、私たちの生活と産業を支える存在にほかならない。だからこそ、イラン戦争は安全保障の専門家だけが論じればよい話ではない。国際秩序の揺らぎは、ミサイルや空爆の映像としてだけではなく、物流の停滞、企業収益、私たちの家計のなかに現れる。本連載で述べていく底線思考とは、そのように遠く見える危機を自分の生活圏に引き寄せて考える力でもある。