二日、十勝石狩国境の山道に、人夫体の男一名が熊のために悲惨な最後を遂げているとの報らせに、駐在所巡査が出張、取調べたところ、現場にはただ髑髏(どくろ)一個、脊髄片骨一本および両脚の骨のみで、左足かかとは、わずかに残った肉片に足袋を履き、右足もまた足袋を履いたまま、膝の骨以下が残っており、付近に骨片が散乱して、見るも無惨な有様だった(「小樽新聞」明治42年10月8日)
筆者の知る事例では、ヒグマは下半身から上半身に向かって喰い荒らし、頭蓋骨を残すことが比較的多く、今回の事件のように下半身だけが喰い残されることは少ない。
手足はむしり取られ、生首が転がり…
以下はその珍しい事例である。
上川郡美瑛村市街地雑穀商、近藤信一(三五)、丸一運送店員、浜岸睦思(二三)の二人は、去る十八日オチャンベツ川へ魚釣りに出かけたまま行方不明となったので捜索すると、上流の山中に仔連れの熊がいるのを発見、命カラガラ逃げ帰ったが、(中略)二十一日、村から三里半ほど隔たった山奥のルベシベ川二股オチャンベツ川の川岸に、釣り道具や弁当を発見し、そこより約二丁ほど隔たった崖の下に近藤の死体を発見したが、胴体から上はなく、内臓はことごとく喰われ、また手足もむしり取られ、頭は崖の上に発見された。なお浜岸の死体は両足はなく、顔面は傷だらけで内臓を喰らって土の中に埋めてあったが、実に目もあてられぬ惨状であった(「小樽新聞」大正14年6月22日)
エサに執着し、数日間「居座る」ことも多い
続報では凄惨な現場の様子が生々しく描写されている。
捜索隊が二十一日遭難現場を調べたところによると、釣り竿はオチャンベツ川へ糸を垂れたままであったが、熊は後方から不意に両人を襲ったものらしく、少し離れたところに魚籠がもぎとられて転がっており、そこから五十間ばかりのところにシャツがむしりとられてあったところから見ると、両名は死にもの狂いで逃げたものと察せられ、その付近にはかなり格闘したらしい形跡もみとめられた。一人の方は頭は胴体から咬みきられて別なヶ所の岩の上へさらし首みたいに置かれ、一人の胴体は土を掘って埋められていた(「小樽新聞」大正14年6月24日)