パスポートも捨てていた
「ある日突然、スタッフが、『Spotify』(音楽配信サービス)で海外の人が僕の曲をよく聴いているから『海外ツアーしませんか』と提案してきて。でも僕は時差ボケが苦手。海外に行かなくなっていたから、パスポートも捨てていたんです。ツアーのために久しぶりに飛行機に乗ってみたら、最近のビジネスクラスは横になって寝られる。こんなに楽なら海外に行ってもいいなと(笑)」
海外のライブでは、高中の奏でるメロディに合わせ客席から「トゥトゥトゥ」などと大合唱が沸き起こった。
「歌のようなギター曲を作りたい。ギターをはじめたきっかけであるビートルズの曲の多くは、イントロに綺麗なギターメロディーが入っている。きっとね、スティービー・ワンダーのようにうまく歌えたら、自分で歌っていたんでしょうけど。そんなに僕はうまくないから」
赤いスーツとの出会い
高中は71年、天才高校生ギタリストとしてプロデビュー。翌年に結成した伝説のロックバンド、「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーとして活動。同バンドは『黒船』(74年)で一躍有名となり、海外進出も果たした。
75年にはロンドンでイングランドのロックバンド『ロキシー・ミュージック』の国内ツアーの前座を務めた。そこで赤いスーツと出会う。
「『Let It Rock』というロックンロールファッションを扱う洋服屋さんで、キーボードの今井(裕)が赤いスーツを買ったんです。最初は真っ赤すぎてチンドン屋みたいだなとちょっとバカにしていた。けれど、『MAMBO NO.5』をカバーして演奏するとき、本家のペレス・プラードがタキシードに蝶ネクタイ姿で演奏していたのが印象深くて。ステージ衣装として今井からあの赤いスーツを借りて着てみたら、派手さがかっこいいんだ、目立つから面白いんだということに気がついて。以来、今まで5着くらい作り直しライブでずっと着ています」
華やかなりし70〜80年代、一流のアーティストとして不動の地位を築いた高中。その日々は、同世代のスターたちとの青春でもあった――。
《この続きでは、本人が矢沢永吉や松任谷由実、井上陽水との出会いを赤裸々に明かしている。記事の全文は「週刊文春 電子版」で読むことができる》
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