日本人は「外交は生き物」と学ぶべき
理解しなければならないのは、習近平政権の下で飛躍したニューエコノミーが、ついに真剣にアメリカの技術的優位を脅かしていると認識されたことだ。厳しいことを言えば、日本の政治が停滞している間に、米中2強時代に入ってしまったということだ。
なぜ政治か、といえば、アメリカが中国の掲げた政策「中国製造2025」を問題視していることでもわかるように、中国政府は目標を定め、きちんと成果をあげる「政治のリーダーシップ」で技術革新をリードしてきた。アメリカはそれを攻撃目標にしているからだ。
ZTEが象徴的に潰された経緯については拙稿を読んでいただきたいが、この状況がなぜ日本にとっての追い風なのかといえば、日本が米中の間に立つ機会となるからだ。
中国叩きがアメリカの外交のテーマの一つとなったいま、中国が解決策を提示してもこじれ、過剰にヒートアップすることが懸念されている。つまり、米中が現実的な妥結点を見失う可能性が指摘されている。
求められるのは、日本の“通訳”としての役割だ。これは米朝の間で中国が果たした役割に似ている。
同時に、アメリカが中国へのサプライチェーンを断ち切った場合の保険として、中国が日本の技術を代替として求める――現実にはアメリカに逆らって、日本が提供することは難しいかもしれないが――からだ。少なくとも中国には、日本との関係を良くしたいという強い動機が生じてくるのである。日本にとっては対中国で様々な問題を解決する好機到来である。
だが、日本側にそれを受け止めた動きが見られるかといえば、寂しい限りだ。
なぜなのか。それは発想の根本に国と国との関係が「生き物」であるとの考え方がないためだろう。対米外交だけが外交というような一本足打法になっていることがその典型で、それが故に、好転した場合に優先する政策の整理がなかなかできない。
一方、中国にとってもアメリカは最も重要な国だ。その意味で対米摩擦を長期化させたいとは考えていない。つまり日本の好機も長くはないのだが、果たして日本はこのチャンスを生かすことができるのだろうか。