粉飾決算や品質不正問題が相次ぎ発覚しているモーター大手のニデック。ジャーナリストの井上久男氏は、ニデック創業者である永守重信氏の功績を認める一方で「晩節を汚した」と評している。「永守式経営」の歯車はなぜ狂い始めたのか——。
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これまで永守氏の経営スタイルを批判し、それに起因する一連の不祥事の実態について述べてきた。しかし、永守氏の経営者としてのすべてを否定しているわけではない。裸一貫でニデックを創業し、2兆円企業に育て上げた努力は並大抵のことではない。ただ、永守氏は経営者として晩節を汚したと言わざるを得ない。
京セラより高い本社ビルを
なぜそうなってしまったのか。永守氏が長らく目標とし、師と崇めていた経営者、故・稲盛和夫氏と比較すると、その「解」が見えてくるのではないか。稲盛氏は同じ京都で京セラを世界的企業に育て上げた。
ニデックが創業30周年を迎える2003年5月20日、新本社ビルの竣工祝賀会で、招待した稲盛氏らを前にして永守氏はこう語った。
「20周年のとき、社員に対して30周年の時には京都一高いビルを建てることを宣言した。その後、京セラさんのビルが建ち、その高さに内心穏やかではなかったが、おかげさまでこうして京都一の高さを誇るビルを建設できた」
ニデックの新本社ビルは地上約100メートル。京セラの本社ビルよりも5メートルほど高かった。
稲盛、永守両氏には似ている点が多い。ここでは3点を挙げる。まずはコンプレックスをバネに起業し、会社を大きくしてきたことだ。起業した年齢も稲盛氏が27歳、永守氏が28歳と近い。
稲盛氏は旧制中学の受験に失敗し、鹿児島大学(当時、鹿児島県立大学)工学部を卒業後も希望していなかった企業に就職。その後、京セラを創業した。「私は劣等感の塊」と周囲に語っていたという。永守氏は中学生の頃に父を亡くし、苦学した。職業能力開発総合大学校(当時、職業訓練大学校)を卒業後、無名の会社勤めを経て起業した。

