令和の学園ドラマの“共通点”
まずは、最近の学園ドラマを見てみよう。学園ドラマは、近年ふたたび盛り上がりを見せているジャンルのひとつだ。年に数本のペースで制作されており、北村匠海が水産高校の生徒たちと宇宙食開発に挑む『サバ缶、宇宙へ行く』(フジテレビ系)や、官僚から高校教師に出向した主人公(松坂桃李)の『御上先生』(TBS系)、スクールロイヤーをテーマにした磯村勇斗主演の『僕達はまだその星の校則を知らない』(カンテレ)などが記憶に新しい。
そんな令和の学園ドラマに登場する教師たちに共通するのは、答えを与えるのではなく、生徒自身に“答えを考えさせること”を重視しているという点だ。
生徒たちと同じ歩幅で寄り添い、ともに成長しながら、彼らの自主性を引き出す。いわば“伴走者”のような存在なのである。おそらくその姿勢は実際の教育現場でも求められていることなのだろう。価値観や生き方が多様化しつつある時代だからこそ、教師の役割も変化していることを感じる。
ニート、ひきこもり…“完璧ではない大人”が教壇に立つ
そして、もう一つ特徴的なのが、教師自身の“人間らしさ”を描く作品が増えていることだ。たとえば、『なんで私が神説教』(日本テレビ系)では、実家に寄生していたニートの主人公(広瀬アリス)が成り行きで高校教師となり、『ひきこもり先生』(NHK総合)では、11年間ひきこもりだった中年男性(佐藤二朗)が中学校の非常勤講師になる。つまり“完璧ではない大人”が、ひょんなことから教壇に立つ物語なのだ。
もちろんそれは、挫折や痛みを知った人間だからこそ、悩める生徒たちに寄り添えるからという理由もあるだろう。だが、こうした学園ドラマの流れには、世間の「教師は完璧であるべき」という価値観、さらには鬼塚やヤンクミのように、いかなる困難も乗り越えて生徒を救う“理想の教師像”へのカウンターという意味合いも感じられる。
あえて教師を「お仕事ドラマ」という側面から捉えた生田絵梨花主演『素晴らしき哉、先生!』(テレビ朝日系)も、恋に仕事に悩みながら、教師という唯一無二の仕事に喜びを見いだすZ世代主人公の姿を描いた快作だった。

