鬼塚が変わらず体現する“圧倒的な大人”らしさ
そうした教師像が広がるなかで、令和版『GTO』で際立っていたのは、理想の教師というよりも、“理想の大人”として生徒たちに向き合う鬼塚の姿だ。不安に揺れる生徒たちへ、ためらうことなく「大丈夫」と言える。どうしようもない孤独や寂しさをまるごと受け止める。1998年から鬼塚が変わらず体現していたのは、“圧倒的な大人”だった。
たとえば第1話では、不登校の健太(森本陸斗)にスポットが当たる。「もうすぐ死ぬから学校に行く意味なんてない」と断言する健太は、自分を模した実寸大の人形を使い、鬼塚にたびたび“試し行動”を取る。あるときは自宅のベランダから人形を落とし、あるときは流れの速い川へ人形を流して、「絶対に死なせない」と言い切った鬼塚の覚悟を試していたのだ。
健太に漂う希死念慮の背景には、自分がうつした新型コロナウイルスによって母を亡くした過去があった。現在の高校1年生は、小学校高学年でコロナ禍を経験した世代だ。未曾有のパンデミックが残した傷は、平成版『GTO』にはなかった、令和ならではの学生たちの痛みなのである。
「悪いのはコロナだ。お前じゃない」
小学5年生で母を亡くして以来、誰にも触れられなくなったという健太。同じ悲しみを抱える父親とさえ心を通わせられなかったなかで、鬼塚のように力強い言葉を口にできる大人は、そう多くはないだろう。まさにこれこそが、鬼塚の“圧倒的な大人”らしさだ。
若者の悩みに真正面から向き合う“令和の学園ドラマ”
コロナ禍の傷を抱えた健太、そして第2話で人生を“リセット”するために退学しようとする結(稲垣来泉)のエピソードを見て、今回の『GTO』が、単なるお祭り的なエモドラマでもなければ、鬼塚世代の力強さを若い世代に振りかざすようなドラマでもないことを感じた。
現代の若者たちが抱える悩みに真正面から向き合う“令和の学園ドラマ”になってくれるんじゃないかと、あらためて期待している。
さて、あずさから「あなたの言う“グレートティーチャー”って、一体何なわけ?」と詰められていた鬼塚は、この3カ月をかけて答えを探していくことになるだろう。ティーチャーではないけれど、私たちもグレートな大人になれているのだろうか。中年になった鬼塚の背中を見つめながら、平成版『GTO』で育った私たち視聴者もまた、自らにそう問いつづける夏になりそうだ。

