「自分は根っこが違う。イロモノ団体から来たんで」――インディー出身でありながら、IWGP世界ヘビー級初代王者という最高峰にまで上り詰めた飯伏幸太。しかし、頂点に立ってもなお、団体内での立ち位置には異質な「浮遊感」が漂い続けていた。
新日本プロレス54年の歴史のなかでも極めて特異な人生を歩んだ飯伏幸太(44)インタビューを双葉社の新刊『証言 新日本プロレス「電撃退団」』より一部抜粋してお届けする。
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あまりに特殊なレスラー人生
――ここ四半世紀の日本プロレス界で、飯伏選手がいちばん特殊なレスラー人生を歩んでる気がするんですよ。
飯伏 そうかもしれないですね。インディーから始まって、三沢(光晴)さんがいた頃のNOAHの武道館に出て、そこから新日本プロレスのジュニアからヘビーまでずっとやって。途中いなくなってWWEにちょっと出て、タイガーマスクの旅を経て、新日本に戻り。今はAEWって感じなので。
――新日本の生え抜きじゃない選手で、2回所属レスラーになって2回退団しているっていうのも、たぶん飯伏選手ぐらいしかいないんじゃないか、と。
飯伏 いないですね。
――だから新日本54年の歴史のなかでもすごく特異な例ですよ。生え抜きでも長州さんぐらいで。
飯伏 生え抜きの人は、たとえ退団しても新日本が“実家”っていう感覚があると思うんですよ。でも、僕は根っこが違う。イロモノ団体から来たんで。
――だから変な話、新日本の所属になっても“よその子”みたいな感じがあったんじゃないですか?
飯伏 まさにそうです。新日本さんも生え抜きをやっぱり大切にするんですけど、なぜか上げないんですよね。
――生え抜きをトップスターにするのは、実はうまくないというか。
飯伏 うまくないのか、わざとなのか。
――それはブシロード体制になってからの特徴というわけでもないですよね?
飯伏 昔からだと思います。僕は(ユークス体制の)2009年から新日本に出てるんですけど、その頃からそうでしたから。ジュニアも僕とプリンス・デヴィット(現フィン・ベイラー)、ロウ・キーとか、他団体出身や外国人で回していたので。ヘビー級になってからも、内藤(哲也)さんは生え抜きでしたけど、それ以外で回すことが多かったですね。
――よく言えば、外様の才能を活かしたってことなんでしょうけどね。
