家族の暴力のトラウマを見る視点 なぜ女性の側に立つのか?
冒頭のA子さんの例を見るまでもなく、虐待やDVといった家族の暴力のトラウマは人生そのものに深い影響を与える。日本では、家族はよきものであり、親は愛情で子どもを育てるはずという「家族イデオロギー」ともいえる考えが常識を構成しているので、被害を受けたひとたちはなかなかそれを自覚し語ることができない。
家族の暴力のトラウマについて考える際に考慮しなければならないのが、ジェンダー的視点である。性暴力も、DVも、被害者の多数は女性である。性暴力もDVも、社会的につくられた男らしさ・女らしさ、つまりジェンダー間の権力勾配を用いた暴力だ。これを、ジェンダーに基づく暴力(ジェンダーベイストバイオレンス=GBV)と呼ぶ。背景にあるのは性差別や家父長的で男性中心的な価値観だ。そういった価値観への反発が高まっている現在では、剥きだしの差別は少なくなりつつあるものの、ジェンダー間の権力勾配はソフトな形で温存されている。
上から見下ろせば、男女(時には同性の)パートナー2人は平面上で向かい合っており、そこには力関係の強弱は見えない。では妻の立場から見てみよう。夫と自分の間には勾配があるように感じられ、夫に怯える自分は低い側に位置している。ところが夫の立場からは、妻と自分は同一平面上に対等に位置し、勾配関係があるなどとは考えない。まして妻が勾配を感じているとは想像もできないだろう。なぜなら自分の立っている位置が基準で「当たり前」だからだ。これはジェンダーを考える際の基本的視点である。
自分こそ人間である(Man=人間)ことを疑わなかった男性と、夜道を一人で歩いたり電車に乗るたびに性暴力の危険と隣り合わせの女性との間には、深いジェンダー差がある。女性の側からしかその差は見えないのだ。
夫婦カウンセリングの陥りがちな危険性は、このような妻からしか見えない差異や勾配(権力関係)をないものとしがちな点だ。たとえば、妻が抑うつ的で、子育てもうまくいかず自分を責めてくるので困った、と夫が夫婦カウンセリングを求めてきた場合を考えてみよう。
2人が職場結婚であること、妊娠・出産した妻が、夫の国外転勤に伴ってやむを得ず仕事を辞めたことが背景にあるが、これをカウンセラーがどうとらえるかによって、大きく夫婦カウンセリングの方向性は変わってくる。転勤に帯同したのは自分の選択だと思いながらも、妻の中では理不尽さと不平等さに対する割り切れなさが恨みになっているかもしれない。カウンセラーがそのことに気づかなければ、単に妻の気質や考え方の癖のせいだと考えるだろう。
つまり、中立的で客観的であろうとするカウンセラーの視点は、夫の視点と一致してしまう。これは重要なポイントだ。カウンセリングにおいて中立であろうとせず、弱者や抑圧された側の立場に立つことにしているのは、このような事態を避けるためだ。
