戦争の痛みも、性被害の痛みも。フラッシュバックは安全な環境で出現する

 FBは安全な環境に戻ってから出現する。周囲からトラウマの機序を理解されることはなく、せっかく生きて戻ったのに何を贅沢なことを言っているのか、いつまで過去にこだわってるんだと責められたのではないか。肝心の本人も、なぜいつまでも戦地の記憶にとらわれているのかと自分を責めただろう。映画「ゴジラ1.0」でも、神木隆之介演じる主人公が、FBと、島に不時着して特攻の特攻の任務から逃げたというサバイバーズギルト(生存罪悪感)に苦しむ姿が描かれる。

 FBは侵入的想起とも呼ばれる。文学作品でもそれらしき描写は珍しくない。プルーストの『失われた時を求めて』をFB文学などと呼ぶ人もいる。

 カウンセリングで語られるいくつものFBの経験を聞くと、眩暈(めまい)を覚える時がある。

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「私の夫は広島出身ですが、神戸の地震の光景をテレビで見ながら、突然原爆の記憶を語り出したのです。夫があんな饒舌に語るなんてびっくりしました。被爆者だったことも初めて知ったのです」

「ジャニー喜多川のニュースが毎日流されるのでテレビは見ないようにしていましたが、体調が最悪になりました。すっかり忘れていたはずの15年前の性被害の記憶がよみがえってしまったんです」

「ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見ながら、突然過呼吸状態になりました。昔つきあっていた男性が、9月11日の世界貿易センタービルの事件で亡くなった日のことを思い出してしまって」

「亡くなった祖父は花火が大嫌いだった。幼い自分はおじいちゃんは意気地なしだと思ってたんですが、のちにあれは空襲の焼夷弾の音を思い出すからだとわかりました」

 FBが起きる引き金はさまざまだが、制御できない。ひとたび起きると、それが起きた時に戻ってしまい、過去と現在の区別がつかなくなる。想起によって、時間軸が歪み、たわんでしまう。多くの人がFBで体調を崩すのは、今(現在)になかなか戻ってこられないからだ。極私的体験と国家レベルの戦争が串刺しになることで、時間軸と空間軸が一種のカオス状態になることもある。

 すでに述べたが、被害やトラウマについて語るとき欠かせない一冊がハーマンの著作だ。訳者である中井久夫は、訳しながら突然小学校時代の激しいいじめ経験がFBしたと述べている。

 私自身の経験だが、2020年コロナ禍による緊急事態宣言が発出された最中、戦争体験をつづった詩人の本をなぜか無性に読み返したくなった。散文集『月白の道』(丸山豊、中公文庫)の中にあった、戦地から帰還した部下が十数年後に意味不明の自殺を遂げたという一節が不意に思い出されたのだった。コロナ禍の追いつめられた状況と、詩人の描く戦争体験とが串刺しになったのかもしれないと思う。

丸山豊『月日の道』

(続きは本書でお楽しみください)

溺れながら生きる 依存とケアのあいだで

信田 さよ子

文藝春秋

2026年7月29日 発売

最初から記事を読む 「ニュースを見るだけで冷や汗が……」ジャニーズ・中居報道の陰で相次いだ“性被害フラッシュバック”の恐怖。なぜ女性たちは「過去の記憶」に襲われたのか