群馬県上野村の“御巣鷹の尾根”に日航ジャンボ機が墜落したのは1985年8月12日のことだ。当時、読売新聞記者だったノンフィクション作家の清武英利氏が、乗客500名の顔写真を集めた記憶を振り返った(掲載:文藝春秋 2022年4月号)。
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亡者だらけの紙面
1985年8月12日午後6時56分過ぎ、乗客乗員524人を乗せた日航ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落した。機体後部の圧力隔壁が破れ、垂直尾翼と油圧系統を破壊されて操縦不能に陥ったのだった。
社会部に異動して4か月足らずだった私は、都内支局員、警視庁、裁判所担当記者らとともに本社に集められた。カタカナの乗客名簿が発表されると、社会部長だった後藤文生(のちに読売常務)は、すぐに全員の写真を集めるように指示を出した。
読売新聞120年史によると、朝日新聞は500枚を超す顔写真を短時間に集め切れないだろうと判断し全国版では扱わないことにしたが、後藤は「被害者がいくら多いからといって一人一人の死はその重みに変わりはない。顔写真は事故報道に欠かすことは出来ない」と迷わなかったという。
事故翌日の13日読売朝刊に掲載された顔写真は116枚(毎日は51枚、朝日は20枚)。今では考えられないことだが、私は遺族や親類宅を訪問するだけではなく、警察や交番に飛び込み、巡回連絡カードの情報なども参考にして関係者宅を回った。
そして、読売の取材班は事故から8日後の20日に全乗客509人のうち外国人を除く500人の顔写真を集め、24日夕刊特別面ですべての写真を掲載した。
悲運の乗客の顔、顔、顔……亡者だらけの紙面を見て、誰からともなく、
「よくもこれだけの人を殺してくれたな」
という声が漏れた。視覚を通じた痛ましい大惨事の記憶は今も心を離れない。後藤の言ったように顔写真は報道の一部であると同時に、人間が存在したことを歴史に刻み込んだ得難い記録である。
