「匿名化」の流れ

 あれから37年が過ぎようとしている。もう繰り返してほしくはないが、社会とメディアが「匿名化」に流されつつあるなかで、予想を超える大惨事が起きたとき、いまの新聞社に500人もの犠牲者を直接取材し、その顔写真を集める力が果たしてあるだろうか。第一目撃者の追跡に象徴される、愚直な努力を続けてほしい、と強く願う。

日航ジャンボ機の墜落現場ではぐしゃぐしゃの機体が散乱し、木々が焼け焦げていた ©時事通信社

 失礼な書き方だが、多くの記者は知識や分析力において学者や役人に劣り、筆力において作家に及ばない。だが、スピードと組織的取材力で結晶物を生み出す作業において、他を圧倒することができる。複数の情熱を新聞という器に注ぎ入れる結集力こそが強みだ。

 私たちの世代は、アリのように群がって実名で書き、写真を掲載する努力を惜しまないのが報道の大原則で、そこに個人の尊厳と自由が宿る、と教えられてきた。読売新聞社がまとめた『「人権」報道』(中央公論新社)には、「原則的に『匿名化』という加工を施す必要はない」「犯罪報道はノンフィクションの最たるものだ」という言葉もあった。

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 しかしいま、警察や役所の発表文から個人名や具体的事例が消える例が急増し、「事件報道で加害者や被害者の名前や顔などは明らかにすべきではない」という声の前に、新聞社はその大原則からじりじりと退いている。現場には、実名表記や顔写真掲載で文句や抗議を受けるよりも、匿名に抑えておけば無難だ、という声もある。だが、匿名の発表はどこの誰が何をしたのか、客観的に報じ、検証することを困難にさせるだけではない。その事件事故の本質を曖昧にし、私たちがこれからどうすべきなのか、考える手立てを奪うことにもつながっていく。

※この続きでは、「実名表記」にこだわる理由を清武英利氏がつづっています。約9200字の全文は、月刊文藝春秋の電子版『文藝春秋PLUS』に掲載されています(清武英利「記者は天国に行けない 第3回」)。

文藝春秋

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第一目撃者
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