看護学校と育児の両立に励んだ3年間

――31歳で看護学校へ。同期は年齢がひと回り近く下の人もいると思います。

不破 高校卒業と同時に入っている同期とはそのくらい離れていましたね。ただ、子どもと同期と一緒に旅行に行ったこともあるし、みんな非常に温かく受け入れてくれました。私はデザイン系の大学を中退しているので、看護学校が第2の青春だでしたね。

――育児と通学の両立は相当ハードだったのでは。

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不破 楽ではなかったですね。5時半に起きて、子どもたちの朝ごはんを作って食べさせて、保育園に送り届けるのが8時前くらい。看護学校の授業は8時半に始まってだいたい16時半に終わります。その後、急いで保育園に向かってピックアップして、お風呂や夕飯を済ませます。だいたい寝かせるのは21時くらいだったでしょうか。それから24時までは授業の復習にあてていました。

 病院実習があったときは、日付が変わるまで勉強していました。土日のどちらかは溜まっている家事をやり、どちらかは勉強ですね。もちろん、子どもたちと公園で遊んだりもします。これが3年間続くので、結構ハードでしたね。

 

38歳で“ご当地アイドル”デビュー

――34歳で看護師資格を取得し、働き始めた不破さんですが、38歳で岐阜県のご当地アイドルになりますよね。経緯を教えてください。

不破 37歳で再婚した旦那がきっかけです。岐阜で事業を営む人だったので引っ越したんですが、彼の会社の知り合いに「0歳から100歳まで」を掲げるアイドルプロデューサーがいて、加入することになりました。

――看護師として働きながらですか。

不破 再婚してからはナースバンクに登録して、遠足の添乗員など期間限定のパートで働いていたので、看護師として働きながら、ではありますね。でも、そのご当地アイドルも1年未満で脱退することになるんです。

――何があったのでしょう。

不破 プロデューサーとは年齢が近く、芸能をかじっていた私から意見をされるのが煙たかったのかもしれません。「グループをやめてほしい」と言われたときにいろいろと理由を聞いてみたら、「本当は、若い娘と楽しくやりたいんだよ!」と言われました(笑)。それなら最初からそう言ってほしかったですよね。いなくなってほしいと思われながら活動するのも嫌なので、卒業公演をすることを条件に脱退しました。

――そのあと、また別のアイドルプロデューサーからすぐに声がかかる。

不破 そうですね、39歳からまたアイドルとして活動させていただけました。本当にいろいろな媒体に出させてもらって、幸運でした。ただ、45歳のときに「グラビアアイドルをやるか、今のアイドルを続けるか」の選択を迫られて、私はグラビアを選ぶことにしたんです。

次の記事に続く 「子どもの学費のために正社員看護師」「衣装代は自腹」…胃がん全摘を経験した不破梨衣(49)が明かす“40代アイドル”の“過酷なリアル”

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