唖然とするほど杜撰な“交渉”
この交渉の詳細は、大島も知らされていなかったようだ。
ただ、大島はこう語っていた。
「ドイツが勝つという判断ですべてやっていました」
前年始まった欧州の戦争は、ドイツが席巻していた。この年の6月にはフランスが降伏。残る敵はイギリスだけになっていた。「ドイツが勝つのはもう間違いない」との観測から、日本の雰囲気が大きく変わっていた。その結果、新たな問題が持ち上がった。「南洋群島」の領有権だ。
第一次大戦の結果、日本が手に入れた領土で、南方の拠点として海軍が整備を進めていた。もともとは敗れたドイツの植民地で、「今度の戦争でドイツが勝てば返さなくてはいけない」との見方が強まっていた。
政府内の手続きは、松岡の説明をもとに以下のように進んだ。
9月10日の交渉で、松岡は、「南洋群島を日本に譲渡してほしい」と申し入れた。ドイツ側は「本国の見解を求める」との反応だった。
12日には、関係閣僚会議があり、松岡が説明すると、陸相の東條英機は賛成したが、海相の及川古志郎は態度を保留した。「自主参戦権の保証」が不可欠で、さらに「南洋群島の権益」、「ソ連との関係改善にドイツが協力する保証」が必要だとの意向だった。
日本とソ連との関係は、前年にノモンハン事件があり、険悪だった。中国の抗日戦争を支えているのも、ソ連だった。そうしたソ連との関係改善を、不可侵条約を結んだドイツに仲介してもらおうとの考えだった。
13日に、海軍とすり合わせをして、海軍の望む条件は、条約の本文とは別に、「付属の議定書」を設けて盛り込むことで合意した。「南洋群島はいったんドイツに返すが、有償で譲渡してもらえる」と松岡は説明した。海軍は反対する“理由”を失い、権力の中枢から同盟に反対する勢力が姿を消した。
19日には、宮中で「御前会議」が開かれた。
首相の近衛文麿が、「支那事変はいまだ解決せずまことに憂慮すべき状態である。この難局を打開するには、利益の一致する国家との提携を強化するしかない」と同盟締結を提案した。
外相の松岡が“交渉の状況”を説明した。「日本の要望はそっくり盛り込まれる見通しだ」と聞こえる内容で、「今回の交渉の基礎は平沼内閣時代のものとはまったく異なっております。ドイツ側も日本が欧州戦争に参加する必要なしと言明しております」と強調したのだった。
反対の声はなく、原案通りに了承された。初会談からここまでわずか10日のできごとだった。
※本記事の全文(約8000字)は、月刊文藝春秋の電子版「文藝春秋PLUS」に掲載されています(渡辺延志「新資料発見 日独伊『三国同盟』八十年目の真実」)。全文では、以下の内容をお読みいただけます。
・三国同盟が対米開戦を不可避にした
・もう一つの“眠っていた資料”
・昭和天皇のコメント「松岡に騙された」



