戦争が遠いという「当たり前」が崩れ去ったとき
もちろん、戦争を題材とした小説はこれまでも多く書かれてきた。日本はかつて大きな戦争を戦ったため、戦記のたぐいに事欠くことはない。また、現在も世界各地で続く戦争や紛争の映像や情報は、日々ニュースを通じて流れ込んでくる。
とはいえ、戦後の日本は、戦争という現実に直接さらされることから、幸いにも長く距離を保ってきた。それは、現在のわれわれの価値観、生活、言語、習慣のひとつひとつが、むき出しの暴力によって否応なく歪められる事態を経験せずに済んだということでもあった。
もしその「当たり前」が崩れ去ったとき、何が起きるのか。本作は、われわれには想像しようにも想像しきれないその世界線を、ときに思弁的な描写も駆使しながら迫真性をもって浮かび上がらせている。
直面するのは、同胞が戦闘により戦死するという現実
作者の砂川文次は一九九〇年生まれ。陸上自衛隊に幹部候補生として入隊し、在職中の二〇一六年に「市街戦」で作家デビューした。その後、退官後の二〇二二年に「ブラックボックス」で芥川賞を受賞している。その経歴は、日中戦争に従軍中に「糞尿譚」で芥川賞を受賞した火野葦平にどこか通じる。
そのような経緯もあるからこそ、なかなか言語化されない「兵士」の内面や現実を、ほかならぬわれわれの言語で、また現在の肌触りをもった感性で、適切に表現することができるのだろう。本作に独特の厚みが宿るゆえんである。
今日、抑止力の強化が叫ばれ、自衛隊の増強が進んでいる。国土の一部が無法地帯になるような事態を避けるためには防衛力の強化が必要だと言われれば、たしかにそうなのかもしれない。しかし、だからといって、そのさきに熾烈な軍事衝突が絶対に起きないと断言することもできない。
そのときわれわれが直面するのは、同胞が戦闘により戦死するという峻厳な現実である。同時に、戦後長く続いてきた価値観の変化であり、人間そのものの変化である。
われわれは、そのことをどれだけ真剣に考えているだろうか。本作のあまりに刺激的な結末は、平和主義を掲げながら、現実には自衛隊を保有し、国防という任務を自衛官に担わせ、しかもその負担をほとんど無自覚に拡大していくこの国の無責任さを、肺腑をえぐるように鋭く突いているのではないか。
われわれの社会は「兵士」を求めている。だが、任務に従事し、その経験を通じて変化してしまうかもしれない「兵士」のその後までも、包摂する覚悟はあるのか。本作は、そうした問いをも、われわれに投げかけている。
