名物教師だった父
1985年2月、木山は双子の兄として埼玉県入間市に生まれた。出生時の名は小長谷寛昭。父は都内の小学校で教鞭をとり、後に校長を歴任した名物教師だった。教育熱心な家庭に生まれた少年時代の木山は野球に没頭。自宅の庭でバットを振り回し、「長嶋茂雄みたいになりたいんだよね」と周囲に語った。小中学校時代の同級生が明かす。
「小学4年生の秋、兄弟は現役自衛隊員が監督をやっている少年野球チームに入団。僕らの代は入間市で3位に入るくらい強く、アイツらは野球一筋で上手かった。2人とも健康志向で懸垂など筋トレが好きだった」
中学に入ると、喧嘩に明け暮れた。
「僕らが5人くらいで帰ろうとしていたところ、2、30人が『俺たち、格闘技やってんだぜ』と、喧嘩を吹っかけてきた。でも、兄弟は喧嘩が強くて負けなかった。武器を持って喧嘩を仕掛けられても素手で立ち向かっていた。『顔は殴らない』というルールがあって、それを守っていた」(同前)
自らに課した規律を忠実に遵守する。別の同級生は、木山の持つ独特なこだわりを明かす。
「当時、畑で野焼きすることが禁止だったんです。でも、そのルールを守らない地元のおじさんがいて、それを目撃した彼が『おい、やめろよ!』と言って喧嘩腰で乗り込んでいった」
スポーツ推薦の特待生として高校へ
中学卒業後、武蔵越生高校に進学する。高校時代の担任教師が証言する。
「スポーツ推薦の特待生として入学しました。双子だったから家庭の事情を考慮し、1人分の学費は免除。当時は特に問題を起こすような生徒ではなかった」
だが、高校時代の木山は早々に挫折を味わう。

