『左利きの少女』

 次も、厳しい現実の中に生きる年少者の姿を描いた作品だ。

 現代の台北を舞台にした台湾人家族の物語だが、製作・脚本・編集には『アノーラ』のショーン・ベイカーも加わっている。そのため『アノーラ』同様、貧困層の人々の姿が優しくユーモラスな視点とともに映し出されていた。

『左利きの少女』

 夫の借金を背負わされて夜市で麵屋台を営むシングルマザーのシューフェン、その長女で借金のために大学進学を諦めざるをえなかったイーアン、そして5歳の少女・イージン。この三者三様の「生きにくさ」を軸に物語は進む。

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 展開のキーになるのは、タイトル通り、イージンが左利きであること。昔気質で迷信を疑わない祖父から「穢れた悪魔の手」だと蔑まれたイージンは、自身の利き手を嫌悪することになる。そして、ある悲劇を経たことで「自分ではなく穢れた手の仕業」だとして、夜市で万引きに手を染めてしまう――。この盗癖が結果として思わぬ幸運を招くところに、ショーン・ベイカーらしい頓智話的なユーモアが効いており、ともすればしみったれただけの話になりかねない展開に潤いをもたらしていた。

 そして、この事件をきっかけに、後半になって思わぬ状況が立ち上がってくる。その核になるのは、そこまではあまり目立たない存在だった長女のイーアン。前半は母やイージンがメインだったのだが、実は彼女こそがこの映画の本当の主人公だったと気づかされるのだ。特に、イージンとの関係性は大きく異なるものになっている。前半はイージンとの絡みがあまり多くないのだが、後半になるとそれが一転。二人の関係が物語の軸になる。そして終盤に「ある真相」が明かされることで、そこまで観客が触れてきた景色が全て大転換。後半になってからのイーアンの言動の一つ一つが、感動的なものとして粒立ってくることに。

 観客に対する情報の隠し方・出し方の一つ一つが巧みなため、決して大きく展開が動く構成ではないにもかかわらず、大きなうねりに浸っているような気分になれた。

『左利きの少女』
監督:ツォウ・シーチン/脚本:ツォウ・シーチン、ショーン・ベイカー/出演:ニーナ・イエ、マー・シーユエン、ジャネル・ツァイ/2025年/台湾・フランス・アメリカ・イギリス/108分/配給:スターキャットアルバトロス・フィルム/©2025 LEFT-HANDED GIRL FILM PRODUCTION COMPANY LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED./公開中