平和への思いは、言葉ではなく「無言の教え」として

 私が子どもの頃、父が日常の会話で平和について語ることは、あまりありませんでした。言葉で伝えるのではなく、自分で気が付いてほしいという考えだったのだと思います。

「……『誰かに言われたからそうする』のではなく、自分で考え、自分で判断できる、そういう賢さというのを持っていて欲しいのです。」

(かこさとし著『未来のだるまちゃんへ』より)

 ただ、父の周囲には自然とそういった空気が漂っていました。1980年ごろでしょうか、広島の原爆の様子を映したフィルムをアメリカから買い戻そうという草の根の運動「10フィート運動」に私ひとりで参加したことを覚えています。父が言葉で語ることはなくても、何かそういうものが伝わる雰囲気が家庭にはあったのだと、今は感じています。

平和への願いが込められたかこさんのポスター「センソウはもうイヤだ」について説明する鈴木万里さん。(撮影:杉山秀樹)

没後に発見された原稿が伝えるもの――『秋』と『くらげのパポちゃん』

 父の没後に発見された遺稿から出版が叶った作品が、『秋』と『くらげのパポちゃん』です。

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『秋』と『くらげのパポちゃん』の絵本(講談社刊)。

『秋』という絵本は、セツルメントの子どもたちのために1953年に文章を、57年に絵を付けた作品で、父はどこかで出版したいという思いをずっと持ち続けていました。絵と文章がきれいに清書され、絵本としてのレイアウト案まで残されていたことからも、本人の強い出版への意志があったことは確かです。私がコロナ禍、父の作品を整理していたときに発見し、実に半世紀以上もの時を超えて出版するに至りました。

 この絵本の表紙になっているこの場面の瞬間だけは、なぜか一切、父は今まで触れてきませんでした。これを見てしまったときの衝撃っていうのは、もし飛行機乗りになっていたら、この場面のようなことになってしまったかもしれない。父自身が飛行機乗りになろうと思っていたわけですから。あるいは死なないにしても、よその国に行って良くないことをしてしまったはずだ――ようやく、終戦前のこの凄惨な瞬間を見てしまったときに気が付くんですね。「軍人になろう」と中学生のとき思ったことがそもそも間違いだった。そのショックのほうが、もしかしたら大きかったかもしれない。それで家でも外でも、この出来事について一言も話しませんでした。

『くらげのパポちゃん』も平和への願いが強く込められた作品です。2023年に遺稿が発見されました。1950~1955年に制作されたものですが、絵がありませんでしたので父の孫にあたる中島加名がバトンを引き継いで絵を描きました。2025年に創作からやはり半世紀以上もの時を隔てて絵本として出版されました。

いつも絵を描いていた自宅のアトリエにて。かこさんは、子どもたちに愛される数々の絵本の名作を生みだした。(撮影:鈴木七絵)

次の世代へ「生きることの喜び」を手渡すために

 今回の展示を通じて、皆さんに感じていただきたいのはただ一つのことです。

 父が19歳で敗戦を経験し、暗闇の中からようやく見出した光。未来の子どもたちのためになることをしたいという願い。セツルメントの子どもたちとともに紙芝居を作り、笑い、遊んだ時間。それらすべてが「生きることは、本当は、喜びです」という言葉に集約されています。

 展示はまだ続きます。どうぞ一枚一枚の絵と言葉をゆっくりとお受け取りいただけますように。父の思いが、ここに来てくださった皆さんから、また次の誰かへと手渡されていくことを、私は心から願っています。

未来のだるまちゃんへ (文春文庫)

さとし, かこ

文藝春秋

2016年12月1日 発売

最初から記事を読む 「生きるということは、本当は、喜びです」 父・かこさとしが遺した言葉と、だるまちゃんが運んだ平和への願い