──3人の娘と一緒に過ごす毎熊さんは、本当の父親のように見えました。娘たちとのコミュニケーションはどう深めていったのですか。
毎熊 撮影の待ち時間はずっと一緒にいて、しりとりをしたり、いろいろなゲームをしたりして過ごしていました。あくまで自分の感覚ですが、いわゆる「家族ごっこ」をしていたんだと思います。ただ、「ごっこ」とはいえ、ずっと“家族”として一緒にいたことで、撮影が終わる頃には、何となく本当の家族だったような感覚になっていました。
凜子ちゃんは、カメラが回っていないときも「ねえ、お父さん、これ知ってる?」と話しかけてくれましたし、僕がおんぶしたりするなど、“本当の父娘”のような距離感でした。
長女役の近藤華さんと次女役の矢山花さんとは、凜子ちゃんとはまた違う、年頃の娘と父親のような距離感がありました。ふたりを見ていると、「変な大人に出会うんじゃないぞ」と、娘を心配する父親のような気持ちになりました。
「よくわからない冒険をしている」俳優と思われたい
──本作は、「人を見る」「人を理解する」とはどういうことかを問いかける作品でもあります。
毎熊 人を本当に理解するのは、ものすごく難しいことだと思います。僕もつい、「この人はこういう人だ」と思ってしまうことがありますが、本当は「こういう人」と決めつけることはできないはずです。
でも、だからといって、相手のすべてを理解する必要があるのかと考えると、それも違う気がします。全部を知っているわけではないけれど、確かに何かを感じ取ることはできる。姿が見えていても、その人を本当に見ているとは限らないし、姿が見えなくても、伝わってくるものはある。この映画が描いているのは、そういうことなのかもしれないと思っています。
──本作では「いつもの毎熊克哉」らしくない役を演じました。
毎熊 ダメな父親を演じたことは何度かありますが、本作のように少し頼りなくて情けない、普通のお父さん役は、これまであまり演じてきませんでした。「作品を選ぶ」という言い方をすると偉そうに聞こえるかもしれませんが、「また、よくわからない冒険をしているな」と思われる俳優でいたいと、いつも思っています。
でも実際の僕の日常に近いのは、影のある人物や尖った人物よりも、学のような部分です。そういう一面を意外だと感じてもらえるなら、これまであまり表現してこなかった自分を見せられたということなのかもしれません。


