アディダスの「言いがかり」とは?
もちろん、オニツカ社内では猛反発が巻き上がった。
「難癖だ。天下のアディダスが、そんな滅茶苦茶なことをいってくるのか」
当のストライプを発案した林はアスリートたちに悪印象を与えたことを反省したが、アディダスから抗議を受けるような法的問題などないと確信していた。
「東京オリンピック当時、オニツカのマークは極太と細い線の2本でした。太い線の上半分は白抜き。アディダスの弁護士は白いところが3本線に見えるというんですが、それはありえません。しかし、肝心の選手の口からもアディダスのまがい物みたいなシューズは嫌だという声が出ていましたから、これを機に、世界のどこにもないとびきりのオリジナルのストライプのマークをつくれ、と社長が大号令をかけたんです」
やるとなったら、喜八郎は徹底的にやる。
「模造品といわれるのは屈辱だ。どこのシューズにも絶対に似てはいかん。まずは調査だ。スポーツシューズに限定するな。一般履きも含め、地球上に存在するすべてのシューズのデザインを調べ上げろ」
開発部員総出でカタログを集めたり、新聞広告を調べたり、あの手この手で調査を尽くしたうえで、林は喜八郎に伝えた。
「ラインを使ったデザインのシューズは、世界に320種類ほどありました」
工業所有権の問題をクリアすることは当たり前だが、それ以上に喜八郎が重視したのは、ひと目でオニツカとわかるような印象的なデザインをつくり出すことだった。開催国の地の利を得てオニツカは東京オリンピックで躍進したとはいえ、メダリストの多くはまだアディダスかプーマのシューズを履いていた。
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