何が「ややこしかった」のか?
スポーツシューズは特殊な糊を使い、パーツとパーツを接着して生産する。縫い合わせていく革靴とは根本的に製造工程が違うのだ。当然、シューズのデザインを決めるラインをくっつける作業も糊づけである。複雑な形状は作業が面倒になり、剥がれやすいという難点があった。
「メキシコラインが完成するまで、幾度、微調整を繰り返したかわかりません」
当時を思い出して林はいう。
「メキシコラインは2本のラインが平行ではなく、ハの字形に上から下へ少し開いています。前方のラインがブルー、後方のラインがレッド。ブルーは『冷静』、レッドは『情熱』のシンボルです。
そして、前方から後方へと緩やかにブルーの曲線が2本、流れていくのですが、当初は下の曲線と前のラインがソール(靴底)のところで重なるデザインでした。そこに厚みができてしまい、上手に接着できない。少しでも厚みを減らそうとプレスをかけるとか、さんざん工夫をしたんですが、テスト履きすると必ずそこから剥がれてくる。これはあかんな、と思いましたね」
林は当初のイメージが変わらない範囲で微修正を繰り返し、最終的には下の曲線とつま先寄りの直線がソールに入るところで重ならないようにデザインを変更した。こうすれば、剥がれるリスクを大幅に減らすことができる。
ところが、喜八郎は納得しなかった。
「製造上の制約があるからと簡単にあきらめるな。曲線のアール(カーブの度合い)を微妙に変えるだけでも印象は大きく違ってくるだろ」
営業からは「こんな靴見たことない」と反発も
細部にこだわってこそ完成度は上がる、と喜八郎は固く信じていた。林も嫌というほどその考えを叩き込まれてきたが、創業者の水準にはなかなか追いつけない。
数えきれない押し問答を繰り返し、メキシコラインは現実のデザインになっていくが、生産現場のみならず、会議でそれを目にした営業からも厳しい意見が噴出した。
「赤だ、青だとこんなスポーツシューズ見たことないわ」
しかし、会議に同席していた喜八郎は、そうした声をすべて引き取った。
「これからは、あれはオニツカタイガーのシューズや、とわからんようでは世界に通用しない。これで行こうじゃないか」
あにはからんや、12月のバンコクのアジア競技大会でテスト販売するやいなや、選手たちのあいだで大評判になったのだ。正確に記せば、この大会で販売したモデルはブルーとレッドのメキシコラインではなく、レッド一色のラインだったが、それでも、その斬新なデザインはアジアのトップランナーたちに訴求した。
「メキシコシティーオリンピックは、これで戦える」
その反応の大きさに、喜八郎も林も大きな手応えを得たのである。
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