県議選挙の疑獄事件に巻き込まれ、恐喝詐欺の疑いで逮捕される。禁錮(きんこ)8カ月、罰金10円の判決を受けたのだが、これを不服として控訴。再審が東京でおこなわれることになった。

裁判を受けるために木下は東京へ移送されて鍛冶橋(かじばし)監獄に収監される。和が群馬や埼玉の隔離所で赤痢患者の看護に奔走していた頃だったが、木下が東京の監獄にいるという話を聞きつけるとすぐ面会に駆けつけた。その後も菓子や書物などの差入れを手にして頻繁に監獄を訪れるようになる。

収監された木下の元へ通う日々

“ただの知人”でしかないのだが、情に厚い和が知人の苦境を知らぬ顔で無視できるわけがない。それが、やがて恋愛感情に発展してゆくのだが、

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「女史は木下氏の災難のことをきくや、大いに義憤を起し、またその熱情から止まり得ぬものがあって、度々鍛冶橋の未決監(みけつかん)を訪うては思いやり深い差入れ物をする。獄中の氏の感激はやがて思慕の情となり、女史もまた持ちまえの熱烈な同情が昂じて、遂に両者の激しい恋愛、そして出獄の上は結婚という絶頂にまで達した」

と、木下の親友である相馬愛蔵(そうまあいぞう)(新宿中村屋の創業者)とその妻・黒光の著書『穂高高原』にも、ふたりの関係が恋愛へと発展していった経緯にふれた記述がある。

「激しい恋愛、出獄の上は結婚」

しかし、監獄の面会時間は短く、看守の監視のもと柵(さく)越しの面談では手を握ることもできない。そんな状況でただの知人から恋人同士に関係が発展し、木下が出獄すれば結婚する約束までしていたのだから驚く。

立ちはだかる障害が、愛を盛りあげる最高の演出装置になることもあるようで……どうやら、和と木下もそのパターンか。

明治31年(1898)12月7日、木下は無罪判決を下されて釈放された。しかし、獄中で約束した結婚は実現しない。

愛蔵は最初からこの結婚には反対だった。本人にはまったくその気はなかったのだが、結果的にふたりをめぐりあわせた愛のキューピッドになっている。それだけに、こうなってしまったことに責任を感じていた。