池田についてまわるイメージ、違うなと思っていました

「4500万円の寄付金集めですか? 僕らは知らないです」

 江上光治は本心から驚いたように言った。

 1982年から夏と春の甲子園を連覇したメンバーで、83年のチームで主将だった人物だ。卒業後は早稲田大野球部でも主将を務め、日本生命の社会人野球チームに進んだ。

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 わたしは江上に取材をするため、和歌山市駅近くのカフェを訪れていた。

「蔦さんや白川さんがやってくれていたのかと思います。でも僕らにはそういうところは見せなかったので」

 金属バット、筋力トレーニング、そして金。これまでの自説を確かめるように、江上に話を訊いていく。

「池田についてまわるイメージ、違うなと思っていました」江上は言った。

 まず言及したのは筋力トレーニングだった。

「バーベルとかダンベルを使って体を大きくしたというイメージが流布してますけど、あれ違います。そういう器具を部員が持ち上げているシーンがテレビで流れたせいかもしれないですけど、実際はほとんど使ってません。腕立て伏せとか腹筋とか、自重トレーニングが中心でした。下半身強化は山登りです。他の高校もやっていたような練習だと思います。

 前腕が大事、しなりが大事って、よう高橋(由彦)先生言うてて、従っていたらたしかに、体が大きくなりました。それに、筋トレが取り入れられるようになってから、食事も変わりました。朝食と夕食は、高校近くのレストランでとるようになった。あれも体づくりに影響したと思います」

蔦さんが惹かれたのは、何よりも、音です

 金属バットについても訊いた。重く、甲高い音を発するゼットパワーの効果をどう感じていたのか。

「ゼットパワーは重かった。さすがに1キロは超えてなかったと思いますが、たしかに重かった。ただ、バットについても実際は違う部分がある。僕らがゼットパワーを真っ先に与えられたと言われてますけど、そんなことはない。持っている高校は他にもあった。だけど、重いから敬遠されていたんです。高橋先生のトレーニングが時期的に重なったから、僕らには使えたっていうだけなんです」

©文藝春秋

「高橋さんの筋トレがはじまった後に、岡山南高校との練習試合で蔦さんはゼットパワーを知ったそうで」とわたしが言うと、江上は思い出すように天井を見上げた。

「……あぁ、ありましたね。相手の打者にホームラン打たれたんですよ」

「その飛び方を蔦さんが気に入ったのですね」

 すると、いや、と江上が否定した。

「ボールの飛び方っていうわけではないと思います。蔦さんが惹かれたのは、何よりも、音です。耳奥まで響く、あの甲高い音ですよ」

「となれば、筋トレと金属バットの組み合わせは、計算されたものではなく偶然だった」

 わたしが言うと、江上はあっけなく答えた。

「うん、偶然かもしれないですね」

 そして、江上はこうも続けた。

「高校野球をパワーの時代に変えたのは、僕は高橋さんだと思っているので」

俺ら本当に実力で勝ってんのかな

 池田は圧倒的な攻撃力で甲子園を勝ち上がった。1982年夏、準々決勝を早稲田実相手に14対2、決勝を広島商相手に12対2、翌春も初戦を帝京相手に11対0、2回戦を岐阜第一相手に10対1。

 小細工無しで打ち勝つ池田の野球は甲子園で異彩を放った。

 初優勝を機に、池田を取り巻く世界が一変したことに江上は気づく。  

「バスに乗って遠征先の球場へ向かう。でも、到着できないんです、観客が殺到していて。困り果てた運転手さんが『もうこれ以上動けません』と。だから僕らは、球場から500メートルくらい離れたところで降りて、そこから人だかりの中を走って向かう。そんな光景が日常になりました」

 対戦校の空気も変わった。自分たちが、異様な視線を送られていることがわかった。