「四国銀行の知人から父が個人で借金して建てました」

「蔦さんはどうやって金を工面したのですか」

「特別融資です。退職金を担保にして、四国銀行の知人から父が個人で借金して建てました。現金で1000万なんて持ってなかったですからね」

 隆司は静かに、そして淀みなく話し続けた。父の正しさを証明しようとするように。やはり夏の記事を書いたのがわたしであることを知っているのだろう。

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 だからね、と隆司が言葉を継いだ。 

「そのぶん講演も多かった。OB会、後援会という組織も、さすがに寮を建てるお金は工面できませんので。だから父が、講演に行って帰ってきて、そのまま四国銀行の人に返していました。すみません、一度」

 そう断って隆司は応接間の電気をつけに立った。いつのまにか部屋が薄暗くなっていた。取材をはじめてからすでに3時間が経過していた。

©文藝春秋

「蔦寮も、2つのアパートも全部、蔦さんの持ち出しだったんですか」とわたしは質問した。

「父が返済しました、全部。それにね、教諭の頃だって、営利目的の講演には行ってないですよ。高野連が許可を下ろさないから。あるときは、行ってみたら一般の人から入場料をとるようなもので、かつ金額が高すぎると知って、帰ってきたこともありました。私に入場料を取るような話はありませんからって」

お寺に2000万円の寄付も

 話は蔦の最期に及んだ。

「蔦さんが亡くなったとき、遺したものはありましたか」

「2つのアパートと、前からある数軒の借家だけです。ほとんど残らんかった。寮の支払いが終わったあとは、お寺にも寄付しましたからね」

 一瞬、聞き流しそうになった。

「寄付したのですか」

「お寺にはようけ寄付しました。建て替えのときにね。2回やってて、合わせて2000万円くらい。亡くなる直前に。まあそんなもんです」

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